士魂商才第八十四號の原稿が完成しました。明日、發送します。巻頭言だけ紹介します。
【第八十四號:氣合ひ】
いつも士魂商才をお讀みいただき感謝申し上げます。「士魂商才(しこんしょうさい)」第八十四號です。タイトルは「氣合ひ」です。
よく「氣合ひを入れろ!」といふ活のやうな表現がなされますが、その「気合ひ」とは
意味が違ひます。
以前からずつと、ある疑問がありました。相撲は、なんであんなに何度も何度も立ちあひ前に仕切るのだらうか、と。サッカーは、なぜゴールを決めた後に、相手を罵倒するやうなあの馬鹿踊りをやるのだらうか、と(他にも同じやうなことはたくさんあります)。
我が國では、劍道でも、蹲踞し竹刀を一度合はせます。柔道も禮に始まり禮に終はります。勝つても敗けても馬鹿騒ぎはしません。闘ふ相手のことを尊重します。
つまり、「氣」を「合はせて」物事を執り行う、非常に精神性の髙い人間のやり取りがあります。「異教徒は殺さなければならない」といふ「彼らの常識」を持つた一神敎の世界とは全く違ひます。我が國の音樂 合奏には、歐州のオーケストラと違つて指揮者(コンダクター)が不要です。これも氣合ひがなせる業です。
職場においても、経営者と社員、社員同士も、自分の我がままを主張せずこの「気合ひ」を大切にしてきました。商賣相手ともさうでした。それが人間尊重、家族主義として、八千數百年間も續いてきました。
似たような不埒國家ではありますが、アメリカの力が相對的に低下し、支那の傍若無人ぶりが目立つて來ました。こんな不埒國家が覇權を握るから世界がおかしくなります。我が國臣民が、我が國本來の在り方をもう一度知り、そして、世界に素晴らしい我が國の在り方を示すことで、世界秩序の安定を求める時代がやつて來ました。そろそろ目を覺ましませう。
桃李不言下自成蹊
を我が國が実践する時代です。
今月號もお樂しみください。
感謝合掌
皇紀弐千六百七十五年三月吉日
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