満洲の眞實 1(皇紀弍千六百七十五年四月十四日)

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 満洲を俗にいふ、中国と一緒だと思つてゐる人がたくさんゐます。満洲を満州と書く人がたくさんゐます。

 だいたい、私たちは、支那の捏造歴史に騙されて、支那が何かすごいことをやつてきた國のやうな錯覚を受けます。例えば、三国志時代までに、人口の9割が死んでしまつた漢民族は、この頃、消滅したとも言はれてゐます。千歩譲つて、今でも漢民族が生き殘つてゐるとしませう。では、明王朝は何年ぶりの漢民族が建てた王朝か知つてゐますか?
 約千年ぶりです。漢民族があの地を支配した歴史など、ほとんどありません。ほとんどが、漢民族がいふ夷狄に従属してきました。漢も漢民族の王朝ですが、實質、周辺の匈奴の属國なのです。文字があるから自分たちに都合のいいやうに歴史を殘してゐるだけです。

 そして、あの支那の土地は、漢民族以外が支配してゐる時の方が、よい政治が行われます(ときもたまにあつたといふぐらいでせうか)。

 清の王朝を建てた満洲もせふです。名君が續きました。

 さて、なぜ、本當の字の満洲ではなく、満州と書くのでせうか?

 漢民族は火の民族です。女眞族は、水の民族です。火の民族が水の民族に支配されていたなどといふことをいふと、今の共産主義政權の沽券にかかわります。だから、我が國に満州と書かせてゐます。我が國のおばかな學者やメディアも何に遠慮をしてゐるのかしりませんが、そう書きます。

 あの共産主義政權は、我が國を食物にし、あわよくば我が國を潰して自分の國にしやうといふ思ひがありあます。そんなことろと國交を結んだ、田中角栄はいらんことをしてくれたものです。臺灣を捨ててまで國交を結ぶ必要などなにもありませんでした。


 しばらく満洲のことを書きます。眞實をしりませう。

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このページは、宝徳 健が2015年4月14日 08:59に書いたブログ記事です。

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