でも、原稿は完成したので、巻頭言だけ掲載しますね。あと十四號で百號か~。えーーーっと、来年の七月だ~。創立記念日の月ですね。来年で創業十五周年だから、いっちょなんかやるか~。
【第八十六號:自燈明】
いつも士魂商才をお讀みいただき感謝申し上げます。「士魂商才(しこんしょうさい)」第八十六號です。タイトルは「自燈明」です。「じとうみょう」とお讀みください。
釈尊が或時、弟子のアーナンダに云ひます。「アーナンダよ、自分を燈にして、自分を賴りにして、他に依存しないで生きなさい。真理を燈にして、真理を賴りにして、他に依存しないで生きなさい」これが自燈明です。
しかしながら、人間は、そんなに強い存在ではありません。つまり、自分で自分の燈を持つ人間はさふさふはいません。その時は、法をよりどころにして他人に賴らない生き方をしなさいと釈尊は敎へます。
法とは、釈尊の敎へそのものです。意見、見方、感想、見解ではない、ありのままの事實です。無數の概念、主觀、思考、感情といふ網に絡め取られている人に、眞理は發見しがたい、見えないものです。そこで、自己觀察をする人に、道案内として、すべての眞理をお釈迦様が明かされました。これを自燈明に對して法燈明と云ひます。法燈明からはじめ、いずれ自燈明にといふことなのでせう。
キリスト敎やイスラム敎は、人間個々の考へ方はどうでもよい、神にすべて從へと敎へます。佛敎は、己の内にある宇宙に眞理を求めます。
最近、もう一度自分を見つめ直してゐます。過去の本や、過去自分が書いたものを観ながら。診ながら。看ながら。そして、もう一度先を視つめ直さうとしてゐます。
自燈明といふ言葉に久々に出逢ひました。人間は、持つてゐるもの、知つてゐるものがありながら、それを忘れてしまひます。愚かな存在です。
いろいろなことを振り返りながら、最近の自分を樂しんでゐます。
今月號もお樂しみください。
感謝合掌
皇紀弐千六百七十五年五月吉日
株式會社 經營戰略室
代表取締役 寳德 健
安保法政 与党参考人 長谷部氏 学者は、アホか。もう、たいへん。阿保だらけ。
ありがとうございます。この件については、後ほど記事を書きますね。昨日もありがとうございました。