梅子黄(皇紀弍千六百七十五年六月十六日の日誌)

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 今は、二十四節氣の芒種です。芒種については、先日、解説しました。そして、七十二候では、二十七候 芒種 末候 梅子黄です。「うめのみきなり」と讀みます。梅の實が黄ばんで熟す頃です。梅雨の時期でもありますね。
 我が國の先輩たちは、鬱陶しい梅雨も樂しみました。

おほかたに さみだるるとや 思ふらむ 君戀ひわたる 今日のながめを 

 和泉式部の歌です。(あなたはこの雨を普通と変わらない五月雨だと思っているのでせうか。あなたを想ふ私の戀の涙であるこの雨を。)

 我が宿に 雨つつみせよ さみだれの ふりにしことも 語りつくさむ

 橘千蔭の歌です。(どのみち外に出られないなら、私の家にずつといらつしやい。梅雨の雨の降る中、もう古くなってしまった昔話も、積もる話を語り盡くさう。)

 鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ

 作者不詳ですが、良い歌ですね~。(雷が少しだけ鳴つて、曇つて、そして雨でも降らないかしら。さうしたらあなたを引き留められるのに)

 和歌は、日本人の心です。小學校から英語敎育など、國家破壊のやうな愚かなことをせずに、小學校から、和歌を學ぶと、情緒豐な人間が育ち、我が國の犯罪は激減するだけでなく、その後の敎育は充實したものになるでせう。

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン


 歌いましたね~。子供の頃。北原白秋の「あめふり」です。

雨降りお月さん
雲の蔭
お嫁にゆくときゃ
誰とゆく
ひとりで傘(からかさ)
さしてゆく
傘ないときゃ
誰とゆく
シャラ シャラ
シャン シャン
鈴つけた
お馬にゆられて
濡れてゆく

 野口雨情の「雨降りお月さん」です。これもよく歌いました。「お嫁さん」とは、どんな人なんだろうと子供心に思ひました。

 眞夜中の、静寂の中にいると、かいうふ情緒あることが思ひ出されるのですね。 

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コメント(3)

またまた、本文に関与しないコメントで失礼致します。

この、時間は ぐっすり眠らせている時間帯ですが、昨夜の報道で記者の質問に、平然とキッパリと言い放った滋賀大の学長が、余りにも腹立たしいのでこの場を借りコメントさせて頂きます。

国からの、国歌 国旗の扱いの指示に従うつもりは、ございません。だって。

あなた、何処の国の学長⁉️何人⁉️

滋賀大学に、抗議します。

いま、滋賀大学に抗議電話しました。
微力では、ありますがこのように、発言する勇気が出たのは寳德先生に出会えたからです。
皆さんも、抗議しましょう。
滋賀大学 総務課 0749271005

追記 最初、女性が出て 男性に交代。
多数、同様のご意見頂戴したとの事。学長に伝えるとの事。
こちらも、注視しておきますと伝えた。
国旗の掲揚はしているとの事。

奥田さん、コメント感謝します。ですよね。なら、国立大学に入らなきゃいい。単純な構図です。誰から給料もらってんねん。

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このページは、宝徳 健が2015年6月16日 03:35に書いたブログ記事です。

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