なぜ支那だと騒がない(皇紀弍千六百七十五年六月十七日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 支那で、「長江」でしたつけ? 沈んだ船の名前は。

 あれ韓国のセオール號(でしたっけ?)よりひどいですよね。
 なのに、我が國のメディアの扱いは、韓国に比べて極端に少ないことに驚きます。

 これなんですね~、我が國のメディアの腰砕けは。支那が相手だととたんにかうなります。支那には、強いことは言はないといふ協定があるみたいですね。

 かつて、支那國民を1億人ぶち殺した大躍進政策と文化大革命のとき、我が國のメディアがその内容を報道しました。支那は、「事實を書いたら支局を支那國内に置かせないぞ」と各社を脅しました。

 産經新聞以外は、すべて支那に屈しました。産經新聞は、それでもつつぱね、長く支那に支局を置くことができませんでした。

 支那の近代化を支援したのは我が國です。少しは、日本に感謝しろつうの。

 まあ、支那は間もなく、何者かの手によつて今の共産黨政權が滅ぼされるのでせうけど。次は、どんな王朝ができるのだらうか。支那の地に。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6049

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2015年6月17日 03:40に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「梅子黄(皇紀弍千六百七十五年六月十六日の日誌)」です。

次のブログ記事は「大阪駅の立ち退きの店(皇紀弐千六百七十五年六月十八日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。