六月二十八日(皇紀弍千六百七十五年六月二十八日)

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 息子からこんなメールが來ました。

「バルカン半島から世界の不幸が拡散されるとき、きっかけとなる日は、歴史的に6月28日。(第一次大戦もユーゴ危機も) さて、ギリシャ問題が大詰めを向かえ、27日のEU会合が重要になるとのこと。 ギリシャがEUに対して取る態度が決定的になるのは恐らく6月28日。 大丈夫かいな」
 さうなんですね~。

 地政學を意識しながら、物事を考えてゐる政治家は、安倍首相と高村副総裁ぐらいでせうか。我が國の世界史との關はりと地政學は切っても切れません。明治の政治家や外交官は、官僚出身ではないので、そのことがよくわかつてゐました。

 このことについては、また機會があるときにゆつくり書くとして、今回は、六月二十八日について。

 かつてオスマン・トルコ帝國は圧倒的な強國でした。戰へば必ず勝ちました。ヨーロッパ中が束になつてもかなはない大國でした。オスマン帝國は十三世紀末、モンゴル帝國が縮小したあとに成立しました。その後ビザンチン帝國の弱體化に乗じてバルカン半島に進出し1389年にセルビア王國以下、キリスト敎國連合に勝利しました(コソボの戰ひ)。

 コソボの戰ひが行はれたのが六月二十八日です。

 第一次世界大戰のきつかけになつたサラエボ事件が起こつたのも六月二十八日です。

 1990年代のユーゴ紛争の主役だつたスロボタン・ミロシェビッチがハーグの國際司法裁判所に移送されたのも六月二十八日です。ユーゴ危機もさふです。

 六月二十八日に何かが起きると世界が不幸になります。

 ギリシャへの金融支援問題が本日決定されます。四箇所で同時テロが起きました。

 本日、六月二十八日になにも起きませんやうに。

 地政學。臣民が學習し、アホなメディアと政治家と官僚を見張る必要があります。

 明治維新がうまくいつた要因の一つに、クリミア戦争があつて欧米が東亞細亞に目を向けられなかつたことがあります(これを、「だから明治維新が成功したんだ」と、我が國の力を否定する人がゐますがが、では、朝鮮や支那はどうだつたのでせうか)。

 千島・樺太交換条約は、ロシアが露土戰爭をかかへていたから實現しました。それをうまく利用した榎本武揚は見事です(今の政治家や外交官はこんなことできません)。

 コソボ紛爭の時1999年、NATOが空爆するとわかつた瞬間北朝鮮は、我が國に不審船を寄越してゐます。アメリカが日本を助ける余裕がないと讀んだからです。あの時、小渕恵三首相と高村正彦外相が毅然とした態度をとらなかつたら、世界大戰なつていた恐れがあります。

 この時のクリントンの過つた對應が、支那の大國化とプーチンの臺頭を許しました。もしあの時、小渕、高村、フランス大統領のシラクの冷静な判断がなければ、世界大戰になつてゐました。

 この辺は、また詳しく書きます。とにかく、安倍首相がやつてゐる、地球儀を俯瞰する外交はまさに地政學であり、我が國にとつて欠かせないものであり、その外交を支へるには、最低限、今、成立させようとしている平和安全法案ぐらいは持つておかないと、我が國の存立の危機になります。

 アホな政治家、アホな官僚、アホなメディア、この法案に反對してゐるアホな臣民が存在する理由。それは地政學を知らないからです。

 我が國は、古代からこの地政學を讀みならが、軍事を備へ、そして、天皇陛下を中心とした、家族主義の平和な社会を數千年連續させました。

 昔の人の方がよほど賢い。  

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このページは、宝徳 健が2015年6月28日 04:45に書いたブログ記事です。

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