温風至

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 昨日は、七夕だつたんですね~。いけない、いけない。季節を忘れてゐます。自分の体から情緒が抜け落ちます。

ささの葉 サラサラ
のきばに ゆれる
お星さま キラキラ
金銀砂子

 子供の頃よく歌いました。綺麗な歌ですね~。國賊サザンの歌なんかと比べ物にならなくぐらい綺麗な歌です。

 そして、昨日から、二十四節気(にじゅうしせっき) 十一節気 小暑(しょうしょ)です。梅雨が明けて本格的に夏に向かふ頃です。

 七十二候では、 三十一候 小暑 初候 温風至です。「あつかざいたる」「おんぷういたる」と讀みます。暖かい風が吹いてくる頃です。
 すでに、夏至で、昼間が一番長い日はすぎてゐます。ですから、もう今頃は、易經いふところの、陽から陰に向かひ始めてゐます。

 人間でも、好調のときがピークで、その後、陰に向かひはじめます。でも、好調の時は、それに氣づいてゐません。安心は絶望の始まりといひますが、達人と呼ばれる人は、好調の時に、次に備へなければならないことを知つてゐます。まさに、「順境にて非觀し、逆境にて樂觀す」ですね。

 古今東西世界最高の經營者 故出光佐三翁は、「出光五十年史」讀むと、会社の經營が順調の時に惱みます。「人が育たない」と。会社の經營が惡ひときに喜びます。「この苦勞を乘り越へれば、人が育つ」と。達人は、發想が違ひます。

 かつての日本人はそのことをよく知つてゐて、温風至の頃の和歌は秋の時期に分類されてゐます。かつての日本人は、自然の中に身を委ねて、豐かな精神で暮らしていただけではなく、その自然から何かを學びとつて生きていたのですね。

天の川 い向ひ立ちて 戀(恋)しらに 言(こと)だに告げむ 妻といふまでは

 万葉集にある作者不詳の歌です。

 「君と天の川を挟んで立っていると、恋しさが募るばかりだから、せめて言葉だけは伝えておくよ、妻として迎えるまでは」

 かういふ歌を若い時に知つてゐれば、ラブレターに書けたのですけどね~・・・。

「のぞみ」にて 六千万年 かかるといふ 十五光年 七夕の戀

 林 龍三といふ方の歌です。この歌いいですね~。

 牽牛(彦星)は、わし座のアルタイル。ミルキーウェイをはさんで、織姫(織女星)は、こと座のベガです。この二つの星の距離は、十五光年です。つまり、光の速さで會ひに行つても十五年もかかります。林さんは、これをのぞみのスピードで數へ直したのでせう。六千万年もかかるさうです。

 いいな~。和歌はいいな~。小學校から英語教育など國家破壊のやうなことはやめませう。我が國をあんな野蛮な國にしようといふのでせうか。 それよりも、幼い頃から我が國最大の文化遺産である和歌を敎へませう。とても情緒豐になります。

 夏の食べ物がおいしくなる頃ですね。鰺、おこぜ、ウマヅラハギ、うに、そうめん・・・。

 しつかり食べて、夏バテにならないやうにしませう。

思ひのせ 銀河を走る 彦星と 織姫の戀 實るか昨夜

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コメント(2)

雨ばかりでたまりませんね~。

小学校から英語なんて、おかしな話ですよね。
日本語の情緒の豊かさについて少しは理解しているつもりです。この情緒によって人間性が豊かになるという面は必ずあるはずです。それに中国人が、フィリピン人が、タイ人が英語を話せるから・・・と日本も追随しようというのは、歴史を知らなすぎますよね。日本人には、英語を話さなければいけないという強い必要性は過去にも現在にもないはずです。大学で好きな人だけ学ぶくらいがちょうどいいんじゃないですか。

それよりも日本語力の低下が著しいです。ちょくちょく顧客よりメールが来ますが、、、、目も当てられない程度の方が多いです。こちらのほうがよほど心配です。

 深田さん、お久しぶり~。コメント感謝します。「祖国とは国語」という藤原正彦先生のご著書があります。もう、讀まれましたか?あれほどの世界的大学者が、英語の時間を少なくして国語を増やせとおっしゃっています。
 英語は、必要な人は絶対に必要なので、その方々が学ぶのは否定しません。でも、それはあくまでもスキルとしてでしかありません。何より、英語のような表音文字ではかく、表意文字である日本語をしっかり学ぶことで情緒豊かな人間が育ちます。母国語をしっかりと正したいですね。

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このページは、宝徳 健が2015年7月 8日 02:19に書いたブログ記事です。

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