士魂商才第八十八號(皇紀弍千六百七十五年八月三日)

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 士魂商才第八十八號がまうすぐ出來上がります。明後日發送となります。巻頭言だけ紹介しておきます。

【第八十八號:百忍通意】〇

 

 いつも士魂商才をお讀みいただき感謝申し上げます。「士魂商才(しこんしょうさい)」第八十八號です。タイトルは「百忍通意」です。「ひゃくにんつうい」とお讀みください。

「ひたすら忍べば意は必ず通じる。あらゆる困難に 立ち向かい、逃げずくじけず耐えていれば事は成就すること」です。

 「忍ぶ」。さういへば忘れてしまつてゐる言葉かもしれません。何にを達成しようとしてゐるのか、そしてそれを達成するために、何を忍んでゐるのか・・・。

 何か大きなことを達成しようとすれば、神樣は、必ず大きく困難な、泣きさうになる宿題をくれます。それが理想・理念の域になるとなおさらです。

 情けない。そんな基本的なことも忘れてゐる今の自分が情けなくて仕方がありません。この歳になつて何をしてゐるのやら。

 前頁に故松下幸之助翁の言葉を紹介します(このブログでは以下に紹介)。

 人間は弱い存在です。すぐに主語が他人になつてしまひます。

掃けば散り 拂へばまたも 散り積もる 庭の落ち葉も おのが心も

 母の法要の時に、和尚さんからいただいた和歌です。今でも事務所に貼り、毎朝、般若心経、敎育勅語、大祓詞とともに唱和してゐます。

さて、いくつになつたら、思ひ通りに生きる力がつくのやら。孔子は、「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず(七十而從心所欲、不踰矩)」と言つてゐますが・・・。

 今月號もお樂しみください。

                                                                感謝合掌

皇紀弐千六百七十五年七月吉日

株式會社 經營戰略室

代表取締役 寳德 健

 

松下幸之助翁
辛抱が感謝になる

 われわれが一生懸命に仕事をしても、世間がそれを認めてくれなかったら、非常に悲しい。そんなとき、その悲しさが不平となり出てくるのも、一面ムリのないことだと思う。しかし"認めてくれないのは世間の人が悪い"という解釈もできるが、"まあちょっと辛抱しよう。今は認めてくれなくても、いつかは認めてくれるだろう"と、じっと堪え忍び、いい姿を続けていくというのも一つの方法である。そして認めてもらったら、これは非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。"より多くわれわれを認めてくれた社会に対して働かなくてはいけない"という感謝の心になってくる。そういう心がなければいけないと思う。

忍ぶべきを忍ぶ
誠心誠意いいものをすすめたけれども用いてくれないというので憤慨し、これは相手が暗愚だからしようがないとやけになって、結局うちこわしになってしまう ということが、ままあるようです。 しかし、そういうことでは、私は大したことはできないだろうと思います。用いてくれなければ時をまとう。これだけ説明してもだめだというのは、これは時節がきていないのだ──そう考えてじっと忍耐していくところから、無言のうちに知らしめる、というような強い大きな誠意が生まれてきます。そしてそのうち に、相手がみずから悟ることにもなって、それが非常な成功に結びつくことにもなりましよう。



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このページは、宝徳 健が2015年8月 3日 06:17に書いたブログ記事です。

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