若き指導者?(皇紀弍千六百七十五年八月四日)

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 速いな~、もう8月も3日が過ぎました。もつと一日を充實させないと。時間は怖い。本當に怖い。

 人生においては、年齢も時間です。私ももう、今月二十日で五十七歳になります。人生とは時間との戰ひなのですね。いくら歳を重ねてもどのやうな時間を過ごし、何を積み上げたかがないと、無意味です。年を積み重ねるとは殘酷なことです。

 
 かつて、アメリカのクリントンや、イギリスのブレアが四十歳代で一國の指導者として出てきました。我が國でも、出井さんが、ソニーで何十人抜きで社長に抜擢されました。

 みんな、大騒ぎしました。私もすごいなあ、と思ひました。これからの世の中はかうなるんだらうなあと。

 結果は、どうだつたでせうか? クリントンはあわや第三次世界大戰を誘発しそうな行いをしました。ブレアは、あの素晴らしい大英帝國の憲政の常道を破壊しました。出井さんは、あの素晴らしいソニーを・・・・。たまたまなのかもしれませんが・・・・・。

 若い指導者が惡いと申し上げている譯ではありません。

 若い時は、旺盛なエネルギー、人を引っ張る指導力はあります。でも、德には欠けてゐます。

 優秀な人材と德のある人物とは違います。優秀な人材は、せいぜい軍隊で云ふと將まででせう。その優秀な人材である將を統べるためには、將の將である、德のある人物が絶対に必要になります。

 そのために、若い時には、不都合・不合理・鬱陶しさを充分味わい度量を養ふことと、學習を重ね德を積む訓練が何より大事になります。ところが、若い時は、その訓練を嫌います。

 今の官立敎育にも、德を積むといふものが皆無です。これでは將來の國は成り立ちません。民間敎育に移行すべきです。

 明治期の成功は、江戸時代に、民間敎育で養はれた德のある人物が綺羅星のごとくいたからです。安岡正篤先生の幼少時代にもまだあつたやうです。安岡先生の幼少時代は、民間敎育でした。七歳で大學を読み始めたさふです。

 さてと、五十七歳にはなるけれど、まだまだ德を積まないとね。

スキルもて 知識・技能に あこがれて 積むこと忘るる 德といふこと

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このページは、宝徳 健が2015年8月 4日 05:52に書いたブログ記事です。

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