敗戰屈辱日(皇紀弐千六百七十五年八月十五日)

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 繰り返します。「戰爭の記憶」ではなく「敗戰の記憶」です。終戰ではなく、敗戰です。そこが総括されてゐないから、我が國はいつまでも「戰後」などといふ表現を使ふのです。

 アメリカに物量で劣つてゐたと云はれます。とんでもない、帝國陸海軍は、世界最強であり、ミッドウェイで敗けた時も、まだアメリカと海軍勢力は互角でした。だつて、GDPの7割~8割を軍事費に使ふといふ、今の北朝鮮状態だつたのですから。

 安倍さんが、ぎりぎりの表現で、安倍談話を出しました。評價できます。敗戰後、「日本が惡い」と表現し儲けてきた敗戰利得者たちは批判してゐますが、氣にすることはない。

 だいたい日本人で終戰の詔勅を讀んだことがある人が何人ゐるのでせうか?昭和天皇は、見事なまでの文章で、我が國を守つてゐます。これなら「終戰」と言つてよいでせう。これも讀まずに「終戰」などといふ言葉を使つて欲しくありません。

 拉致問題をほったらかしにして、「戰爭の記憶」などと言つてゐる人は、恥を知れ。

 終戰の詔勅です。

 だいたい「戰爭責任」と云ふ言葉はよく聞きますが、「敗戰責任」と云ふ言葉は聞きません。だから総括できません。あの戰爭二大敗戰責任者は、まちがひなく、近衛文麿と山本五十六です。

 朕、深く世界の大勢(たいせい)と帝国の現状とに鑑(かんが)み、非常の措置以て時局を収拾せむと欲し、茲(ここ)に忠良なる爾臣民(なんじしんみん)に告ぐ。
 朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。
 抑々(そもそも)帝国臣民の康寧(こうねい)を図り、万邦(ばんぽう)共栄の楽(たのしみ)を偕(ども)にするは、皇祖皇宗(こうそこうそう)の遣範(いはん)にして、朕の拳法々(けんけん)措(お)かざるところかざる所。
 曩(さき)に米英二国に宣戦せる所以も、亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出で、他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、固(もと)より朕が志にあらず。
 然(しか)るに、交戦已(すで)に四歳(よんさい)を閲(けみ)し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)の励精(れいせい)、朕が一億衆庶(しゅうしょ)の奉公(ほうこう)、各々最善を尽せるに拘(かか)らず、戦局必ずしも好転せず。
 世界の大勢、亦我に利あらず。
 加之(しかのみならず)、敵は新(あらた)に残虐なる爆弾を使用して、頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷(さっしょう)し、惨害(さんがい)の及ぶ所、真に測(はか)るべからざるに至る。
 而(しか)も尚交戦を継続せむか、終(つい)に我が民族の滅亡を招来(しょうらい)するのみならず、延(ひい)て人類の文明をも破却(はきゃく)すべし。
 斯(かく)の如(ごと)くむは、朕何を以(もっ)てか億兆の赤子(せきし)を保(ほ)し、皇祖皇宗(こうそこうそう)の神霊(しんれい)に謝(しゃ)せむや。
 是れ朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。
 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。
 帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉し、非命に斃(たお)れたる者、及其の遺族に想を致せば、五内為(ごだいため)に裂く。
 且戦傷(かつせんしょう)を負い、災禍を蒙(こうむ)り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり。
 惟(おも)うに、今後帝国の受くべき苦難は固(もと)より尋常(じんじょう)にあらず。
 爾臣民(なんじしんみん)の衷情(ちゅうじょう)も、朕善く之を知る。
 然(しか)れども、朕は時運の趨(おもむ)く所、堪え難きを堪え、忍び難(なん)きを忍び、以て万世の為に太平を開かむと欲す。
 朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠(せきせい)に信倚し、常に爾臣民と共に在り。
 若(も)し夫(そ)れ情の激する所、濫(みだり)に事端(じたん)を滋(しげ)くし、或は同胞排儕(はいせい)互に時局を乱り、為に大道(たいだおう)を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕最も之を戒む。
 宜しく挙国一家子孫相伝え、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操(しそう)を鞏(かたく)くし、誓て国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。


 爾臣民、其れ克(よ)く朕が意(い)を体(たい)せよ。
御名御璽(ぎょめいぎょじ)
※読みやすいように、ふりがなをふり、カタカナをひらがなに変えています。旧漢字を新漢字にしています、以下に、語句の説明をつけています。
康寧: やすらかなこと。安寧
遣範: 先人から遺された手本
庶幾する: こい願う
閲する: 経過する
無辜: 何の罪もない人
五内: 五つの主要な内臓全身
軫念する: 心を痛める
衷情: まごころ
赤誠: うわべを飾らないまごころ
事端を滋くする: 事件をたくさん起こす
排儕: 排斥

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このページは、宝徳 健が2015年8月15日 02:19に書いたブログ記事です。

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