綿柎開(皇紀弐千六百七十五年八月二十三日 參)

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 今日から二十四節季 処暑です。そして処暑の初候で 七十二候では四十候 「綿柎開」です。

 「わたのはなしべひらく」と讀みます。綿を包む咢[がく]が開く頃です。処暑とは「暑さが止む」といふ意味です。

 柎とは花の萼(がく)のこ。綿は七月から九月にかけてフヨウによく似たクリーム色の美しい花を咲かせますが、それから約一ヶ月後、丸い実を包んでいた萼が はじけ、中からふわふわとした綿毛に守られた種がとび出します。この綿毛を紡ぐと木綿の糸や布になりますが、純白の綿毛は萼をつけたまま花材としても用い られます。
140823_伎倍人のまだら衾に綿さはだ.jpg
 
 綿の花です。最近ではみないですね。綿を詠んだ和歌です。

 伎倍人(ひへひと)の まだら衾(ぶすま)に 綿さはだ 入りなましも 妹が小床(をどこ)に

 万葉集 讀み人しらずです。我が國の素晴らしさは、太古の昔から、庶民が和歌といふ詩を作ってゐたことです。欧米では、詩を作ることが出来るのは貴族だけでした。庶民が作ったら殺されてしまひました。

 和歌は、我が國の最も素晴らしい文明です。小學校から英語などといふ恐ろしい所業をするのではなく、小さいころから和歌を敎へるだけで、我が國がどれほど隱やかな國になることか。本質論を見誤つてゐます。

 この和歌の意味は、

「伎倍(きへ)の人の、まだら模様のふとんには綿がたくさん入つてゐるといふが、俺もあの娘のふとんに入るはずだつたのに」

 遠江(静岡県)の東歌です。伎倍(きべ)は浜松市にある地名です。衾は掛け布団のような夜具で袖の付いてゐるものもあります。ただし、入つてゐる綿は木綿ではなく絹綿でした。

 和歌を勉強しはじめたとき、戀愛の歌が多かつたののに驚きました。「昔の人は、なんじゃい。戀のことばかり考へてゐたのかい」と思いますが、違ふのですね。

 きちんと、男女のことをきちんと思ひあふ。すばらしいことですね。

 それでいて、防人の歌など、今の私達の數倍も國を愛する心があります。愛する人と離れるのでさびしいと詠つてはゐますが、「行くな」とは詠つてゐません。その相矛盾する不合理を受け容れ、國のために働く氣持ちがあらはれてゐます。

 堕落した私達とは違ひます。

 懐古主義が批判されてゐます。別に私は懐古主義になれと言つてゐるのではありません。臣民として、歴史を知ることは當然だと申し上げてゐます。懐古主義などと譯のわからない言葉を使つてゐる人たちは、きちんと歴史を學習してゐない人なのでせうね。

 野分(臺風:台風)が近づいてゐます。みなさん、氣を付けませう。

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このページは、宝徳 健が2015年8月23日 04:44に書いたブログ記事です。

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