學校などたいしたものではない(皇紀弐千六百七十五年九月六日 弐)

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 リハビリは、やるときには徹底的にやる! もう壱通記事を書きます。イタイイタイ。肩が痛い。甘えるな。

 九月二日の産經新聞に、曽野綾子さんのとても素敵な記事が載つてゐました。大賛成です。今の、過つた學校教育で育っても、ろくな大人はできません。優等生になる必要はない。現に、「正しい喧嘩(勝負)を社會人になつてできない男が多い」。どんなに、俗に云ふ「頭が良いいい子」に育っても、いざといふときに勝負ができない男は、世の中を壊していきます。それで我が國をだめにした例が、枚挙に暇がありません。

 さて、ご堪能ください。二囘に分けます。

学校などたいしたものではない
 今日は9月2日で、かろうじて間に合うかもしれない。新聞に、毎年子供が最も多く自殺するのは、8月31日から9月2日にかけてからだという記事が出ていたからである。過去42年間、全国で300人以上がこの3日間に自殺した。宿題ができないのが心理的圧迫になっているのか、いじめに遭うのが嫌なのか、簡単には論じられないが、学校なんか長い人生からみたら大したことはにのに、と思う。

 私は、生来性格の不真面目な夫と結婚した。彼の小、中学校の時の暮らしを聞くと全くでたらめだ。毎年夏休みの宿題は8月29日までやったことがない。どうせ先生は細かいところまで読んでいないんだから、答えが間違っていても気がつきゃしない、とタカをくくっている。

 「一番困るのは、日記でしょう」と言うと、それだってずるをするコツがあるのだという。たった3日で30日分を書くには、日付を続けては書かない。8月2日の分を書いたら、次に17日分を書き、10分休んでから24日分を書く。正確なできごとを記すこともあるが、大体はでたらめだ。

 「叔母さんがスイカを持ってきてくれた」とか「隣のうちの鶏を追いかけて遊んだ」とか言う手の、ウソのばれない話がいい。

 「だけど天気はそうはいかないでしょう」と律儀?な私が言うと、天気だけ写させてもらう友達と、休みの初めに特別契約をしておくのだという。それに1日や2日間違っていたって、先生は決して気がつかない。

 人(世間と親)が、自分が秀才で誠実で、将来偉くなると信じていると思うから、学校が圧迫になる
学校は一種の遊園地だと思えば、どうにでもやりくりして時間を過ごせる。それでも嫌だったら、学校には行かなくていい。 つづく


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このページは、宝徳 健が2015年9月 7日 06:29に書いたブログ記事です。

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