學校などたいしたものではない 2(皇紀弐千六百七十五年九月八日 弐)

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 私達親が子どもに身に着けさせるのは「生きて行く力」です。どんなことがあつても「負けない心」です。いざといふ時に「戰へる力」です。

 お勉強でよい點數をとつて、親の都合の良いやうな人間に育てることではありません。婦道が失はれた我が國では、母親に「日本男児を育てる力」がなくなつてゐます。力ではなく、意識なのかもしれません。弱い弱い存在である男ですが、女性には持っていない能力があります。女性の優秀性とその男性特有の能力が結びつくと、世の中は素晴らしくなります。そしてその男性特有の能力を引きだせるのは女性しかいないことを昔の我が國の女性はよく知つてゐました。

 それが今は・・・・・自殺をするなんて・・・・ 

 曽野綾子さんの記事の續きです。


 老年まで生きた人のほとんどが、人生の幸福は学校のランクや成績の優劣とは無関係だということを知っている。それより、人があまりしない勉強や道楽を生涯續けた方がいい。友達がスマフォを使ふ時間に、何でもいいけど別の事をし續ければ、かなり役に立つ。

 私は学問的な頭は皆無なのだが、時々変なことを知っていると思うことがある。先日もグリーンランドで暮らす日本人の記録をテレビで見ていたら、そりを引く犬について、画面に出てこないことでもかなり詳しく知っていた。昔アラスカにオーロラを見に行っていた時、アイディタロッドと呼ばれる長距離の過去君犬ぞりレースの本などを讀みふけっていたおかげである

 アラスカの2月は零下20度。近代的なホテルの部屋でも、寒さは壁を通して伝わってくる。ボーイさんに「もっと暖炉にくべる薪を持ってきてください」と頼んだら、生木の薪をどさっと運び込んだ。「こんな生木で燃えるの?」と聞くと、こういう寒冷の木は水分を含んでいないという。水気があると木自身が凍るからだ。私は用心して寝袋を持ってきていたので、ベッドに上に広げ、中に使い捨てカイロを入れて天国の思い出寝た。

 少なくとも、私は学校を出てからの方が多く学んだ。だから宿題なんてどうでもいい。

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このページは、宝徳 健が2015年9月 8日 04:31に書いたブログ記事です。

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