私には、三十五歳になる甥がゐます。今、福岡県議会議員をやつてゐます。姉の長男です。
彼が生まれた時に、母が、姉に云ひました。「男の子は、その日のうちに生きて帰つてくればいいのよ」。姉から言はれました。「あんた、どんだけ、お母さんに心配かけとん」。
甥はかはいかつたな~。一緒に遊ぶのが樂しみでした。
明治二十三年 十月三十日 敎育勅語が發布されました。
敎育勅語は、昭和二十三年六月十九日の國會で廢止されたといはれてゐますが、國會に勅語を停止ないし廢止する權限はありません。だからまだ敎育勅語は生きてゐます。
つづきです。肩ひじ張らずに、さら~っと讀むのが心學の神髄みたいですね。お樂しみください。
「本を讀まない人は人を馬鹿にする。本を讀む人は自分の小ささがわかる」といふ言葉を、かつてある人に敎へてもらひました。私なんかまだまだですね。
つまり、しつかりとした土台を自分で創造しない人は、發言の「主語が他人になる」のでせう。自立してゐる人の發言は、常に主語が自分です。
「雨が降つたから売上があがりませんでした」。企業現場でよく聽く言葉です。
ふたつ前の記事で、「たわわ」といふ大和言葉を使ひました。この言葉もきれいですね~。我が日本の先輩たちは、この實りの秋にふさはしい言葉を殘してくださいました。本來の假名遣ひでは「たはは」なのですが、う~ん、みなさんのために「たわわ」にしておきますか~。
平成二十八年四月三日 橿原神宮で、神武天皇崩御 二千六百年祭が催されます。當日は無理だとしても絶對に行きます。「かしはらじんぐう」と讀みます。神武天皇の名前や橿原神宮を知らない人がゐる・・・・・(涙)。
神武天皇 カムヤマトイハレビコノミコトについて、私の著作「どの本よりわかりやすい古事記」から引用して紹介してゐます。つづきです。前囘は、神武天皇がお生まれになつたところまででした。
岐阜のタウン誌 咲楽(さくら)をみてゐたら、中部地区の秋のイベントが載つてゐました。
面白さうです。行けるものは行こうかな。
體調管理のための散歩に最近、よく行きます。秋なので、とてもそぞろ歩きがしやすいですね。我が國の秋は美しい。休みの日は10キロぐらい歩きます。私はほとんど家にいませんので、家の近くをこんなに歩くのは、子供が小さい時に一緒に散歩した時以來でせうか。「あっ、こんな店ができてゐる」「あっ、あの店なくなつてゐる」と・・・。歸つてそれをガミさんに云ふと「何年前の話をしてるの?」となじられます。まう口きかない。
この前、そぞろ歩いてゐと、甲子園で一番おいしいたこ焼き屋さんが・・・。「ああ、なつかしいなあ」。
命を救つていただいた、醫療關係者 特にお醫者方に恩返しをします。
人の命を救ふといふ崇高な仕事をしていらつしやいますが、實際の價値とその評価があまりにもかけ離れてゐます。つまり、髙く評價されすぎてゐます。ひとつ前の記事のハロー効果ではありませんが、醫師・辯護士といふのは、何か、人格も含めてすべて素晴らしいと誤解されがちです。
お斷りしておきますが、すべての醫療關係者ではありません。枕詞に「多くの」つきます。また、命を救つていただいたの方々に唾する行爲のやうに思はれるかもしれませんが、決してさうではありません。
歴史を見ても髙く評價されすぎる仕事は、年月を積み重ねると必ず破綻するからです。また、是非、「優秀さ」だけではなく「德を積む」といふ觀點をお持ちいただきたいなと思ふからです。恩返しですね。
體重は怖いですね~。ほんの少し油斷するとすぐに増える。今朝測つたら79.5kgです。やっと78.4kgにしたのに、まう1.1kgも増えてゐます。なんとかあと4日で1.5kg減らして78kg未満にします。
もつと運動しないとね。
日經新聞の私の履歴書が今月は面白いですね。葛西さんです。やはりこの方はすごい。
一方で、この記事を讀んでゐると、モスクワコミンテルンの暗躍と大蔵省の暴挙を讀みとることができます。
明朝は、ブログが書けませんので、今、書きます。
ハガキ道を中斷してゐました。
住所録と年賀状の整理を始めました。讀み返してゐると、「ああ~、この方に手紙を書けばよかつた」と思ふことがしばしばです。
縁とは大切ですね。六十億人いる世界の人の中で、たまたまその方と出逢つた。これは奇跡に近いことです。もつと縁を大切にしないと。
今日の大和言葉は「たまさか」です。まさに、縁についての言葉です。
今朝の日經は相變はらず、ひどいですね~。
まず、消費税の輕減税率です。74%の國民が賛成と出てゐます。メディアの世論誘導により、臣民が、消費税を上げるのを既定路線と思ひ込んでゐます。今、消費税はあげてはいけない。どうしてそこの議論が抜け落ちるのか。
新聞は、今、新聞に輕減税率を適用してもらおうとして、必死です。今ここで消費税はあげてはいけないなどと書かうものなら、財務省からにらまれます。なので、どの新聞も消費税増税は既定路線として記事を書きます。臣民も騙されまくりです。
次に日經 一面のコラム 春秋。このコラムのひどさは今に始まつたことではありません。
知らない言葉がたくさん出てきますね~。知つてゐても使つてゐません。なんともつたいない。これほど美しい言葉を私達はなぜ、おろそかにするのでせうか。今、「おろそか」といふ言葉を使ひました。この言葉の大和言葉を本日は紹介します。
江藤淳さんといふ尊敬する方がいらっしゃいます。保守の論客でした(亡くなつてゐます)。その方の「こころ と こと と ことば」(確かそんなタイトル)といふ作品を讀んだことがあります。なんせ三十年前のことなので、間違つてゐたらご容赦下さい。
かつての我が日本語は、「こころ」に純粋に思つたことを、「こと(行動など)」にあらはすことができ、そして、それを「言葉」に出來たのだといふ内容だつたと・・・。
なので、發する言葉がとても純粋で美しかつたさうです。ですから、我が國は、「言霊(ことだま)のさきはう國(美しい言葉を使ふから、美しい國になり、みんなが幸せになる國)」だつたのでせう。
今日の大和言葉は「ゆるがせ」です。
學習とは、まずは「學ぶ」ことです。學ぶの語源は「なめぶ」です。つまり、眞似をすること。習は、繰り返し行うことです。學ぶだけではなく、學んだことを繰り返し使ふ必要があります。これまでみてきた大和言葉を振り返りませう。
力を盡す
力を添へあふ
気合ふ
あらまし
相合(あいあひ)
徒や疎かに
幾久しく
恐れ入ります
參りました
そぞろ歩き
道すがら
たおやか
お手すきなときに
書き並べるだけでもきれいですね。それと、お氣づきになりませんか?現代假名遣ひでは、うまくあらはせないのが、大和言葉です。私たちは間違つた日本語を使つてゐます。それを世の中の進化とか、世の中の変遷といふ人たちがゐます。決して懐古主義ではありません。眞理であり、我が日本人の心理です。
今、軆をこまめにチェックしてゐます。昨日から、體重に加へて、BMI、體脂肪率、内臓脂肪率も測定し始めました。測定項目12個。樂しい、樂しい。
體重は、もう80kg未満は常態化してゐるので、あと一週間で2kg落とします。そして、今年中に、75kg未満とします。體重が減つてきたので、こんどはと思ひ、BMIなどを測り始めました(今日から)。
平成二十八年四月三日に橿原神宮で「神武天皇二千六百年大祭」が催されます。絶對に行きます。來年の手帳にセットしたら最初に豫定を書き込みます。
さて、神武天皇(カムヤマトイハレビコノミコト)の話しをしようと思つたら古事記解説になつてしまひました(笑)。昨日のつづきです。私の著作「どの本よりもわかりやすい古事記」(とは言つても一般には出版してゐません)からです。
メールでやり取りをしてゐると「暇な時に電話をください」「お暇な時にお出かけください」「暇な時に讀んでください」・・・。
このメールをもらってから電話をするときは「自分が暇な人間だ」と認めたことになります(笑)。かういふことを指摘しても相手は「?」が頭の中を駆け巡ってゐます。同僚相手ならよいのですが、目上の人にこんな表現はやめませう。
「すみません、少し遅れます」「あせらず來てください」もさうですね。俺はいつもあせつてゐるんかいとなります。
このやうに、「言つてゐることは間違つてゐない」のに、日本語の使い方が間違つてゐて相手を不快にさせるケースが増えてゐます。でも、使つてゐる本人は、それに氣づいてゐないので、相手がなぜ不快になつてゐるかを理解することができません。「自分の何が惡いのか」と思つてゐます。
言葉とは、傳達手段です。その傳達手段の中でも、我が日本語は、これほど美しいものはないといふほどのレベルなのですが、今の日本人は、それを破壊してゐます。破壊してゐてそれに氣づかない。犯罪を犯して、惡いと思はないのと同じレベルです。
少しお疲れ氣味かな。まだ徹夜は少し早かつたかも。手術前よりバシバシ動いてゐます。というか、心肺機能が向上してゐるので、手術前と氣力が全く違ひます。ただ、体力が手術前より落ちてゐます。そのバランスに氣づいてゐない、愚か者宝徳がゐます。
さて、「喧嘩ができない男たちへ」の補足版です。
「慟哭」。工藤静香の歌ではありませんよ。
「慟哭:悲しみのあまり声をあげて泣くこと」。
橿原神宮で來年四月三日に行はれる、神武天皇二千六百年祭のことを紹介しやうとだけ思つてゐたのですがが、せつかくの機會ですから、古事記のおさらいをしませう。
昨夜の續きです。私の著作に「どの本よりわかりやすい古事記」があります(ご希望の方は連絡ください)。そこに書いてある内容を紹介しますね。
來年の手帳のレフィルがきました。手帳は、長年いろいろなものを使ひました。自分にピッタリのものを探し當てるのにとても時間がかかりました。ここ十年ぐらいはやつとめぐり逢へた同じものを使つてゐます。携帯を手帳がわりに使つてゐる人をみますが、どうやつて消込をするんだらうと不思議に思ひます。
どの職業でも、よい仕事をしてゐる人は、例外なく手帳の使ひ方が上手です。携帯を手帳がわりに使つてゐる人で仕事が出來る人はみたことがない。
昨日、岐阜ハートセンターから岐阜羽島までタクシーに乘りました。大阪に戻るためです。
く~、今日の仕事は思考が深くなる~。またちょっとブログで息抜き。
平成二十八年は、神武天皇崩御二千六百年です。
どうもいかん。仕事を進めてゐるのですが、思考が止まつてしまひました。今日は、夜更かし&明日は、早起き。やらなきゃ。と氣ばかり焦つてゐるので、ブログでも書きます。
SKMさんからメールをいただいて、最近のブログを誉めてくださいました。恐らくこの大和言葉ではないかと・・・。私も書いてゐてホッとします。美しいものに触れることは大切ですね。
えっと、今囘は何にしようかなあ。
一篇一篇が長いので、なるべく日の間隔を短くして少しずつ書いていきますね。少しずつ軆にしみこませるやうに讀んでみてください。今日から新しい篇です。
いかがでせうか?このシリーズは?
我が國の言葉はなんと美しくなんと豐かなのでせうか。穀物でいふと豊穣といふ言葉がピッタリですね。こんな美しい國を自ら破壊するのはやめませう。
今日の言葉は「道すがら」です。
産經新聞社主催、京都女子大學共催で「~家族を歌う~河野裕子短歌賞」が催され、18日に受賞作品が發表されました。審査員に氣になる人が何人かゐますが、生前の河野さんの功績が、かうやつて幾久しく受け繼がれていくことに喜びを覺へます。
私は、自分の和歌がへたくそなのは、私自身が痛烈に自覺してゐます。ブログで、そのへたくそな和歌を掲載することに、躊躇してゐたとき、河野さんの著作に出逢ひました。河野さんはその中で「いいのいいの。出来榮へなんか氣にせずに、どんどん詠めばいいの」と仰つてゐました。それを讀んで、氣持ちがスーーーっと樂になりました。なので、どんどん詠むことにしました。私の生きる唯一の目的と目標は、「本來の立派な日本人になる」ことです。和歌を詠まないとね。
今、思ひ出しました。なんと不敬な。今日は、皇后陛下のお誕生日です。
我が國は、男系繼承といふことで、女性に對して門戸が開かれてゐないと云ふ議論があります。とんでもない。
大和言葉までいなくても、聞いてゐて「なんじゃいこれは」と思ふ言葉がたくさんあります。「全然大丈夫です」が代表でせうか。「全く大丈夫です」です。「全然」ば續く言葉に否定形がきます。「全然わかりません」など。
あと「ら」ぬき言葉です。「よく、見れますか?」などと聞かれたら、腰が砕けさうです。オリンピックのサッカーで點をとつた選手が、「點を入れれてよかつたです」・・・・・。
レスリング女子の金メダリストがインタビューで「お父さん」「お父さん」を連發してゐました。「父が」でせうが。聞いてゐるこちらが恥ずかしくなります。
何か不都合があると「すみません」「すみません」を連發してゐる職場があります。人に何かをやつてもらつたときもさうです。間違つてはゐませんが、もつと素敵な言葉があります。
コンプライアンスといふ言葉があります。「法令遵守」などと譯されてゐますが、これは愚民化政策です。誤譯でもあります。なんだか世間では「何が何でも法律を守る」といふやうに捉えられてゐますが、「法律さへ守つてゐれば、お前らはあとはいらんことをするな。考えるな。創意工夫さへするな」とさへ捉えられる愚民化政策です。別に法律を守るなとは言つてゐません。でも、こんなことをやつてゐたら、臣民から創造性がうしなはれます。ますます(正しい)喧嘩(勝負)ができない、男ばかりできてしまひます。
「喧嘩」といふ言葉を使ふと、「それは、『經營』とか『營業』とかだらう」と思はれるかもしれませんが違ひます。
昔、「愛と誠」といふ漫画がありました。
岩井さんからコメントをいただいてゐですが、うまくブログ上に移行できません。しばらくお待ちください。申し訳ございません。また、コメント感謝します。
稲田朋美さんのことを書いて下さつてゐます。私の最愛の心の戀人です(笑)。
朝晩は、もう、小濵は寒いですよ。夜は暖房を入れてゐます。でも、夜、散歩すると蟲のオーケストラが心を和ませてくれます。この蟲たちは日本の蟲です。オーケストラなのにコンダクターの必要がありません。
かつて、我が國に遊びに來たイギリス人に、蟲の聲を聞いたときの日本人の感覺云ふと不思議がつてゐました。彼らに云はせると、秋の虫の聲は、「雑音」ださうです。悲しい民族です。
でも、もう都會では、蟲の聲など、すつかり聞かなくなりました。私たち日本人も、あと數年したら、秋の夜のオーケストラを「雑音」と聽くやうになるのでせうか?
子供たちは知つてゐるのかなあ?蟲の聲の歌を。
「徒やお疎かに」を學習しませう。
「ご恩は、徒や疎かには致しません」といふ風に使ひます。「あだやおそろかに」と讀みます。
私が、クライアントの中で一番敬愛する經營者にIk社長がゐます。
かつてある仕事で、IK社長にある提案をしました。状況を慮つてプランを作りました。IK社長に持つていくと、IK社長は云ひました。
「宝徳さん、どうせ俺に勝負させるなら一番きつい内容を提案してくれ」
勝負(正しい喧嘩)が出來る人です。
今日、五囘目の記事ですね(笑)。とにかくうれしい。退院後、元氣とはいへ、夜は眠くて眠くてしかたがありませんでした。だから、夜更かしや早起きがつらかつた。仕事が進みません。それができるやうに囘復してきました。うれしい。うれしい(TJさん曰く、「夜は寢るのがあたりまえです」)。
さあ、やるぞ。さあ、やれる。關係者のみなさん、いままでご迷惑をおかけしました。これまでみたいに飲まないからその分も仕事できます。ああ、うれしい。
言つてゐることは間違つてゐないのに、日本語の使ひ方が違ふので、相手に傳はらないことがあります。でも、話してゐる本人は、それがわからない。「あの人は何を怒つてゐるんだらう」と。間違つてゐるのはどちらかわかりますよね。正しい日本語を使はない方です。
今日の大和言葉は「相合」です。
やつと、かうやつて夜、活動ができるやうになりました。體力が囘復してきました。いいですね~。自分だけの時間に、好きなことや仕事をする。至福の時です。
ひとつ前の記事で、「喧嘩ができない男」のことを書きました。古典を讀んでゐないこともその原因の一つでせう。我が國には、心學といふ素晴らしい道があります。
「道」。いいですね。我が國は、戰ふことを「道」とします。劍道では、これから戰ふ相手に蹲踞します。柔道では禮をします。お茶を飲むことまで「茶道」といふ「道」にしてゐます。華を活けることを「華道」とします。匂いをかぐことまで「香道」とします。私たちは、人間の「生きる行爲」をすべて「道」にす稀有な民族なのです。
「道」。さうです、自分と向き合い正しい勝負をする行ひです。こんなにも素晴らしものがたくさん我が國にあるのに、海外のものをありがたがる。不思議です。
さて、前囘の續きです。
先日、若い人たちの會合で、「今は、皇紀何年?」「今上(きんじょう)天皇陛下は何代でいらつしやる?」と聞いても答えられませんでした。日本人なら當然知つてておきませうね。皇紀弐千六百七十五年と百二十五代です。國籍だけの日本人にならないやうにしませう。
まあ、新嘗祭(十一月二十三日)といふ、「斎庭稲穂神勅」を起源とした、我が國最大の行事をないがしろにしながら、ハロウィンでどんちゃん騒ぎする悲しくなるやうな人間もたくさんゐるので・・・・。
さて、今囘のタイトル「喧嘩ができない男たちへ」ですが、弊社月刊誌 士魂商才のテーマにもしようと思つてゐます。
心學と大和言葉は明日書きますね。この二つの記事は、朝、しつかりと時間がとれるときに書きます。
私の心の戀人の一人が、曽野綾子さんです。彼女の著作はすてきですね。今囘、曽野さんの「人間の分際」と云ふ本を賈つて讀みました。面白い、面白い。
面白くなつてきましたね~。日經新聞の私の履歴書。葛西さんはやはりすごい。信念の人ですね。
勞組との對決に入つてきました。
國鐡(現JR)を潰したのは勞組です。とくに國鐡の勞組はしまつにおへない。今のJRの勞組も似たやうなものです。あんなに素晴らしかつたJR北海道を、むちゃくちゃにしてしまひました。起こさなくてもよい事件を、わざと起こし、JR經營陣側に責任を押し付け、素晴らしい社長を自殺に追い込みました。山崎豊子が「沈まぬ太陽」で嘘をついた状況そつくりです。メディアはこの事實を傳へません。過激派の報復が怖いからです。なんのためのメディアでせう。
舊(旧)國鐡には、三つの勞組がありました。「國鐡勞働組合(國勞)」「國鐡動力車勞働組合(動勞)」「鐡道勞働組合(鐡勞)」です。最大の組織は、國勞です。なんと組合員二十五万人を擁してゐました。
このシリーズは「醫療機關に物申す」の番外篇です。
朝、昼、夕食のバランスの話からでしたね。これは、目からウロコが落ちました。
髙校生になつて、はじめて古文を習ひました。遅いですよね~。小學校一年生から、「古事記」「和歌」「古文」「數學」を敎へたら、我が國は、素晴らしく再生します。
髙校ではじめて習つたとき、意味がさつぱりわかりませんでしたが、感覺としては「美しい言葉だなあ」でした。「春はあけぼの、やうやうしろくなりゆくやまぎは」「つれづれなるままにひぐらしすずりにむかひて」「しののめ」「あけぼの」「おぼろ」「かすみ」「みなも」「せせらぎ」・・・・、「たおやか」「おおらか」・・・・、少し表現するだけでも、今の間違へた殺伐とした日本語にはない美しさがあることがわかります。
和歌もさつぱりでした。でも、言葉と同じで、「美しいなあ」と體の中に入つてきました。
今の私たち日本人は、自分たちが言葉を破壊してゐるといふ、自覺症状がありません。さう、不感症なのです。
また、どこからか聲が聞こえてきさうです。「今は、それが普通なんだから」。
普通なのではありません。異常なマジョリティです。異常なマジョリティが「普通」と呼ばれることが今の我が國です。不感症から脱して、自覺症状ぐらいもちませう。
文科省が、大學の文系を縮小もしくは廃止したらどうだと始動し始めました。だいたい國民敎育が必要なのは、義務教育だけでいい。官立敎育は、何人かの人間やある省などの恣意的な考ヘ方が入るので、敎育が制限されてしまひます。官立敎育は、國家をほろぼす愚か者官僚を作ります。髙校以上は私學でいい。明治の鉄人たちはみんな私學で學んでゐます。二つの難敵を避け、我が國の礎を築いた明治時代は私學で敎育を受けた人間たちの手によつて成し遂げられました。適塾しかり、慶應義塾しかり、各藩の私學にしかり、庶民の寺子屋しかり。
その後、明治政府の數少ない失敗である髙等文官試驗の導入、ナンバースクール(一髙、二髙など)設立、帝國大學をはじめとする國立大學の設立、軍における海軍大學、陸軍大學の設置により、俗にいふエリートといはれる人間が、どんどん官僚化し、山本五十六など、接待がうまいだけの愚將を生み出し、大東亞戰爭で國を潰しました。
中學校で英語を習ひました。確か當時の中學校では、二種類の英語の敎科書があつたと記憶しています。ひとつがプリンスで、もうひとつが、なんだつけ・・・・?忘れた。
I have a pen から習ひ始めるのと、I am Susieから習ひ始める違ひがありました。私は後者です。
しばらく習ふと色が出てきました。yellow red・・・。つまんね~と思ひました。日本には、同じ黄色でもいろいろな表現があります。それも自然と同化した名前になつてゐます。美しいですね~。
アルファベット二十六文字。我が國には、漢字、ひらがな、カタカナといふ何万語で豐な表現をします。我が國は、漢字が支那から導入されても、何百年も使ひませんでした。美しい我が國の言葉は漢字だけでは無用だつたのです。ひらがなができて初めて使い始めました。なんといふ獨創性でせう。
最近、日本語が亂れてゐます。「なんで、ここでこんな表現をこの人は使ふのだらう?」と思ふことがしばしばです。時には腹が立ちます。でも、本人は説明しても、理解不能です。
日本人の心から美しさが奪はれていきます。
かつて我が國はあんなに美しかつた。少し、言葉を取り戻しませんか?新シリーズです。
心學。これほどのものを、我が國の先輩たちが創り、そして、殘してくれました。學習しないと失礼です。それも、支那の古典のやうに、決して實現する氣持ちもない理想論を語るのではなく、實践の行として。
士魂商才が書けてゐません。八月・九月・十月號の合併號となります。申し訳ございません。
村上春樹がノーベル賞をとらなくてよかつた~。大江健三郎に續く我が國の恥になるところでした。ホッとしてゐます。
世界の混乱のほとんどの原因は、バルカン半島と支那にあります。バルカン半島が揺れてゐるので、歐州で難民が政治問題となつてゐます。
その時、多くの我が國メディアは「ドイツは素晴らしい」と、またぞろ、難民を受け入れたドイツ賛美が始まつてゐます。ドイツがいかにひどい國かは、またゆつくりと。
メディアがドイツ賛美をするのは、我が國にも「難民を受け入れる準備をしろ」と主張したいからです。冗談ではない。
私は無類の風呂好きです。温泉に行つたら、一日に五囘ぐらい入ります。その私が今、風呂に入れない。
まだ、シャワーだけしか許されてゐないのです。
すごいですね~。ノーベル賞。大村先生、梶田先生おめでとうございます。心から祝福申し上げます。
技術やスキルだけではない。德を積み重ねた結果が世界に認められました。我が國が世界に認められてきました。我が國の在り方がいかに人類にとつてかけがえのないものかが。
さあ、今度は私たち臣民の番です。國籍だけの日本人から脱して、正しく歴史を知り、本來の日本人の生き方を追求すれば、我が國が世界に平和を發信できます。いえ、我が國だけが世界に平和を發信できるのです。ただしく我が國の歴史を學習すれば、太古の昔から、我が國だけがそれを實現してゐることがわかります。
しかし、世界は一筋縄ではいきません。私が知つてゐるだけでも、あと7個はノーベル賞をとつてゐました。昨年のこの時期に書いた記事を再度紹介しませう。
この前、息子が歸つてきたとき、ヴェノナの本をとられてしまひました。
「あっ、父さん、これ讀んだ?貸して。あっ『池田勇人とその時代もある』これも貸して」「年末歸つてくるとき返せよ」「ああ」
ヴェノナは、彼が勤めてゐる會社が出版してゐるじゃんか~。彼が勤めてゐる會社は素晴らしい本をたくさん出版してゐるのですが、すぐに廃版にしてしまひます。「一国平和主義の錯覚」もさうです。ヴェノナは今ネットオークションで賈うと三万円ぐらいします。一国平和主義の錯覚もさうです。なのに、一国平和主義の錯覚は、他の出版社から文庫本として發賣されてゐます。もったいね~。彼が勤めてゐる會社は、かういふ現象が多い。それを指摘したら「さうなんだよね~」と。まあ、新入社員だから仕方がないか。
さて、そろそろ甘えから脱出しないと。
フィジカル面のルーティンを強化します。今日から、一日5キロ以上歩きます。摂取カロリーは1,500~1,600kcal/日。消費カロリー2,000kcal/日以上。そして、今月中に體重を78kg以下とします。.
入院中最も勉強になつたのが、食事のとり方です。まずは、献立表をもらいました。
手術が終はつて、自分の病室がある階以外はしばらく行つてはいけないと云はれたので、自分の病室がある階を歩きまわつてゐました。K醫師が「一日に十周するぐらい歩かないとだめだ」と仰つてゐました。
インドネシアの新幹線の受注を支那がとつていきました。それをメディアは失敗と論じます。
鳩翁道話 一の上 一 はくらんの藥
孟子曰、仁人心也。義人路也。舎其路而弗由。放其心而不知求。哀哉。
孟子曰はく、仁は人の心也。義は人の路也。其の路を舎て、由らず。其の心を放つて求むることを知らず。哀しい哉。
是は孟子告子上(まうしのこうじょう)に見えまする本文(はんもん)でございます。
興味がある記事がシリーズで掲載されてゐるときだけ、日經新聞を賈ひます。先月の私の履歴書のキリンビールの「あらまき氏(すみません字を忘れました)」も面白かつたですね~。
さて、今月は・・・。
言いすぎかもしれませんが、私の正直な氣持ちです。「診察と診療は醫者、治療は看護婦」。特に入院と云ふシーンではそうです。まあ、岐阜ハートセンターと云ふ専門病院の看護婦だからさうなのかもしれませんが。総合病院では少し様相が違ひますものね。
今囘の入院で、私が最も感銘を受けたのは、「退院後の私の生活習慣」を意識して、看護婦さんたちが治療に當たつてくれたことです。
最初は、藥でした。
不埒な支那に我が國臣民がスパイ容疑で拘束されました。返せよ!日本人を!
みなさんは、「我こそはローマ演説」をご存知ですか?弊社月刊誌 士魂商才第八十七號の記事を紹介します。
我が國は、宗敎がなくてもどの國をも超越した道德を築き上げた世界で唯一の國でした。過去形なのは、我が國が美しくなくなつたからです。でも、そのDNAは殘つてゐるので、また復活させませう。
武士道、心學どれも、我が國の先輩たちが、自らの心を耕し、構築してくれた生き方です。それを私たちは、髙めて繋げなければいけないのに、低めて斷絶させやうとしてゐます。今、生きるものは、過去の先輩たちが築き上げたものを「高めてつなぐ」義務があります。國も企業も家も。敗戰後の私たちにはその感覺がとても低くなつてゐます。憲法といふ名の文章でしかない 邪敎 日本國憲法と不埒な敗戰後敎育が我が國をむちゃくちゃにしてしまひました。
まあ、そんなに堅苦しく考へなくても樂しめるのが心學です。前書きから紹介します。「心學 道話全集壱巻」からです。