鳩翁道話 一の上 一 はくらんの藥
孟子曰、仁人心也。義人路也。舎其路而弗由。放其心而不知求。哀哉。
孟子曰はく、仁は人の心也。義は人の路也。其の路を舎て、由らず。其の心を放つて求むることを知らず。哀しい哉。
是は孟子告子上(まうしのこうじょう)に見えまする本文(はんもん)でございます。
孟子曰、仁人心也。義人路也。舎其路而弗由。放其心而不知求。哀哉。
孟子曰はく、仁は人の心也。義は人の路也。其の路を舎て、由らず。其の心を放つて求むることを知らず。哀しい哉。
是は孟子告子上(まうしのこうじょう)に見えまする本文(はんもん)でございます。
扨(さて)此(この)仁と申すは、諸先生いろいろに御註をなされたれ共、むづかしう申しては、女中方や子供衆の耳へ入りにくい。それをたとへをもつて御はなし申しませう。
昔京に今大路何某といふ名醫がござつて、名髙い御人じや。或時鞍馬口といふ所の人、霍亂(くわくらん:中暑より起こる吐瀉病)の藥を製して賣弘(うりひろ)めまするにつき、看板を今大路先生に御願ひ申して、書いて貰はれました。其看板に「はくらんの藥」と假名で書きなされた。ソコデ賴んだ人がとがめました。
「先生、是は「くわくらんの藥」ではございりませぬか。何ゆゑ「はくらん」となされましたぞ。」
先生笑うて、
「くらま口は京への出入の在口、往來は木こり、山賊、百姓ばかり。くわくらんと書いてはわからぬ。はくらんと書いてこそ通用するなれ。眞實の事でも、わからぬ時は役にたたぬ。たとひはくらんと書いても、藥さへ功能があれば能(よ)ゐではない歟(か)。」と仰せられました。
いかさま、是れは面白い事でござります。聖人の道も、チンプンカンプンでは、女中や子ども衆の耳に通ぜぬ。心學道話は識者のためにまうけました事ではござりませぬ。たゞ家業におはれて隙(ひま)のない、御百姓や町人衆へ、聖人の道ある事をおしらせ申したいと、先師の志でござりますゆゑ、随分詞(ことば)をひらたうして、譬(たとへ)をとり、あるひはおとし話をいたして、理に近い事は、神道でも、佛道でも、何でもかでも取り込んで、おはなし申します。かならず輕口ばなしのやうなと、御笑ひ下されな。これは本意ではござらねども、たゞ通じ安いやうに申すのでござります。
昔京に今大路何某といふ名醫がござつて、名髙い御人じや。或時鞍馬口といふ所の人、霍亂(くわくらん:中暑より起こる吐瀉病)の藥を製して賣弘(うりひろ)めまするにつき、看板を今大路先生に御願ひ申して、書いて貰はれました。其看板に「はくらんの藥」と假名で書きなされた。ソコデ賴んだ人がとがめました。
「先生、是は「くわくらんの藥」ではございりませぬか。何ゆゑ「はくらん」となされましたぞ。」
先生笑うて、
「くらま口は京への出入の在口、往來は木こり、山賊、百姓ばかり。くわくらんと書いてはわからぬ。はくらんと書いてこそ通用するなれ。眞實の事でも、わからぬ時は役にたたぬ。たとひはくらんと書いても、藥さへ功能があれば能(よ)ゐではない歟(か)。」と仰せられました。
いかさま、是れは面白い事でござります。聖人の道も、チンプンカンプンでは、女中や子ども衆の耳に通ぜぬ。心學道話は識者のためにまうけました事ではござりませぬ。たゞ家業におはれて隙(ひま)のない、御百姓や町人衆へ、聖人の道ある事をおしらせ申したいと、先師の志でござりますゆゑ、随分詞(ことば)をひらたうして、譬(たとへ)をとり、あるひはおとし話をいたして、理に近い事は、神道でも、佛道でも、何でもかでも取り込んで、おはなし申します。かならず輕口ばなしのやうなと、御笑ひ下されな。これは本意ではござらねども、たゞ通じ安いやうに申すのでござります。
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