大和言葉 1(皇紀弐千六百七十五年十月十日 參)

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 中學校で英語を習ひました。確か當時の中學校では、二種類の英語の敎科書があつたと記憶しています。ひとつがプリンスで、もうひとつが、なんだつけ・・・・?忘れた。

 I have a pen から習ひ始めるのと、I am Susieから習ひ始める違ひがありました。私は後者です。

 しばらく習ふと色が出てきました。yellow red・・・。つまんね~と思ひました。日本には、同じ黄色でもいろいろな表現があります。それも自然と同化した名前になつてゐます。美しいですね~。

 アルファベット二十六文字。我が國には、漢字、ひらがな、カタカナといふ何万語で豐な表現をします。我が國は、漢字が支那から導入されても、何百年も使ひませんでした。美しい我が國の言葉は漢字だけでは無用だつたのです。ひらがなができて初めて使い始めました。なんといふ獨創性でせう。

 最近、日本語が亂れてゐます。「なんで、ここでこんな表現をこの人は使ふのだらう?」と思ふことがしばしばです。時には腹が立ちます。でも、本人は説明しても、理解不能です。

 日本人の心から美しさが奪はれていきます。

 かつて我が國はあんなに美しかつた。少し、言葉を取り戻しませんか?新シリーズです。
 仕事をしてゐるとよく出くわす言葉に「協力します」があります。

 上司が部下に、「今度、かういふことをやつていく」と表明したとします。部下が「はい、私達も協力します」・・・・・・。

 腰が抜けさうになります。おいおい、お前ら第三者かい。当時者だらうが。

 「はい、私達も、力を盡(尽)します」です。

 我が國は、米を社會基盤づくり、人生の基礎としていたため、自分以外の人間との共同作業がどうしても必要でした。力を合はせて生活をしてきたのです。そのときに、リーダーが「〇月〇日から田植ゑをするから」と言つたときに「はい、協力します」などといはうものなら、仲間から袋叩きにあひます。

 ここで、美しい言葉を二つ紹介します。まずは「力を添えあふ」です。

 なんと美しい言葉でせう。英語やラテン語や支那語には絶對にありえません。だつて、彼らは、隣人は敵の歴史なのですから。

 「みんなで力を添えあつて、このことを實現しませう」

 美しいですね~。

 もうひとつが「氣合ふ」です。

 歐米のオーケストラにはコンダクターがゐます。つまり、コンダクターがゐないと、オーケストラがなりたたないのです。我が國の雅楽にはコンダクターは不要です。

 それぞれに演奏者が、お互いに他の演奏者と「氣を」「合はせ」ながらオーケストラを實現するのです。こんなすごい世界がどこにあるのでせうか?

 國技である相撲は、何度も何度も仕切り直します。お互いの氣が合ふまで戰はないのです。

 劍道では、蹲踞して竹刀を合はせます。柔道では、お互いに禮をします。氣を合はせてから戰ふのです。

 「協力する」などといふ「いやいや感」は全くありません。「私の本意ではありませんが、まあ、今囘は力を貸してあげませう」といふのが「協力します」です。

 まう一度、「氣を合はせながら」「力を添えあつて」一致團結できる我が國を創造したいですね。

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このページは、宝徳 健が2015年10月10日 09:40に書いたブログ記事です。

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