大和言葉 5(皇紀弐千六百七十五年十月十七日 參)

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 今、小濵は、道端に咲いてゐる、コスモスが見事です。昨日の小濵は快晴でした。夕陽が沈む小濵灣の美しさは息を飮むやうでした。川の中の小島に群生する、ススキが風に吹かれる樣子には、散歩をしてゐても、思はず足を止めてしまひます。特に昨日は、太陽の光を一杯に浴びたキラキラ光るススキに思はず目を奪はれました。この北川といふ小濵市内を流るる川は、四季樣々な自然の姿をかもしだしてくれます。

 地方創成など、とんでもない。都會には、便利さがあるだけです。豐さはがあるのは地方です。經營資源はたくさんあります。一票の格差(本当は較差)を逆にすればいい。地方選出の國會議員を首都圏や地域の核となる都市の選挙区の3倍から4倍にすればいい。さうすれば、彼らは予算をとつて仕事をつくります。中央官庁キャリアが出世する条件として、地方勤務での實績を設定するとよい。保身得意な彼らは、必死に働くでせう。中央官僚が考へる成功しない補助金など不要です。

北川の ゆるりながるる 水面にて ススキが踊る 光を浴びて

 我が國は、美しい國ですね。清少納言が枕草子で云つてゐる秋の美しさは我が國の財産です。

「秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寢所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいてなどの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、蟲の音など、はた云ふべきにあらず」

 こんなに美しい國土と自然が、私たち(かつての)日本人の美しさを創つたのでせう。取り戻しませう。

 今日の言葉は「幾久しく」です。
 まさか、讀めになんてことはないでせうね???!!!「いくひさしく」です。

「幾久しく、幸多かれとお禱り申し上げます」
「幾久しく、お納め下さいませ」
「今後も幾久しく、愛されるでせう」

 我が國は、世界最古の國です。唯一神話の世界から歴史が連續・繼續した奇跡の國です。

 なので、私達臣民も「續く」といふことに對して、何の違和感もありません。「えっ?何を言つてゐるの?」とお感じになるかもしれません。それが當たり前になりすぎて。

 他の國では、明日、今が、終はるかもしれないんです。はずみで王樣をぶち殺して歓喜に酔いしいれ、今頃後悔してゐる歐州の國があるくらいです(それを美化した日本の漫画家がゐましたが)。彼らには「幾久しく」などといふ美しい言葉はありません。その感覺ががないのですから。

君が代の 幾久しくと 國始め 風は吹けども 山は動かず

わだつみの かざしにさせる 白妙も 波もてあぐる 國の始まり

 こんな美しい國があるでせうか。そろそろ目を覺ましませう。

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このページは、宝徳 健が2015年10月17日 03:10に書いたブログ記事です。

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