皇后陛下お誕生日(皇紀弐千六百七十五年十月廿日 弐)

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 今、思ひ出しました。なんと不敬な。今日は、皇后陛下のお誕生日です。

 我が國は、男系繼承といふことで、女性に對して門戸が開かれてゐないと云ふ議論があります。とんでもない。
 女性に對して、これほど自由に門戸を開放してゐる皇室が他にあるでせうか?むしろ、男性に對して「直系」といふ承繼を續けてきました。

 いろいろな理由はありますが、それは、「シラス」といふ世界で唯一の奇跡の國體(国体)を世界に示し続けるには、男系承繼しか方法がないからです。他國はどこも「ウシハク」です。

 今日は、このシラスとウシハクの解説をするのはやめますが、説明しなければ理解できる人が少ないことがどれほど我が國臣民にとつて悲しいかことかを自覺してください。

 話を戻します。ですから、美智子さま(皇后陛下)が妃殿下として皇室におはいりになつたとき、「初の民間人」とか、誹謗中傷する人からは「粉屋の娘」とか言はれましたが、太古から、皇室以外の妃はどんどん受け入れてゐます。古事記を讀めばすぐにわかります。

 それでも、この近現代において、美智子さま(当時は美智子妃殿下)が、皇室にお入りになることはどれほどのお覺悟が必要だつたかなど、私たちにはうかがいしることもできません。

 すべてそれまでの自分の人生・經驗・知人友人・親族を捨て去ることから始まります。さうして、見事に今は、國母となられていらっしゃいます。毎朝、皇居遥拝をしてゐますが、皇后陛下のことを思い募るだけで、なぜか涙が出そうになります。それは悲しみの涙ではありません。言葉に言い盡せぬ感動といふかなんといふか・・・。

 私は、もし、外國人が我が國を攻め落とし、天皇皇后両陛下を殺そうとするシーンがあったとして、「もし、日本人で、天皇皇后両陛下の代わりに命を投げ出す者がゐたら、両陛下は助ける」とその外國人が言ったら、誰よりも早く手をあげます。いや、他の誰よりも早く手をあげなければ氣がすみません。
 私にとって、自分の命を捨てていい存在は、両陛下と息子です。でも、息子には惡いけれども、プライオリティは、兩陛下がもちろん上です。

 私と息子がいなくても、我が國は成り立ちます。でも、両陛下がいなくなつた瞬間に、我が國は滅亡します。

 かつて、これをある人に云ひました。その人は理解不能でした。「我が國臣民はここまでのレベルになつたか」と思ひました。えっ、右翼かつて?冗談じゃない、右翼の連中にこんな覺悟があるもんか。

 かつて我が國には、大切なことのために命を捧げる崇高な精神があつたのです。

 皇后陛下、お誕生日おめでとうございます。皇后陛下が天皇陛下と一緒にいらっしゃるとき、いつも、軆をもつて、天皇陛下を守らうとされているお姿に触れてゐます。そのとき、私は、日本人に生まれた、誇りと、日本人として生きていく勇氣を皇后陛下からいただいてゐます。

 皇后陛下の幾久しい万歳を心よりお禱りまうしあげます。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで
(現代假名遣ひでは、國歌は正しく表現できません)

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このページは、宝徳 健が2015年10月20日 16:37に書いたブログ記事です。

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