河野裕子さん(皇紀弐千六百七十五年十月二十一日)

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 産經新聞社主催、京都女子大學共催で「~家族を歌う~河野裕子短歌賞」が催され、18日に受賞作品が發表されました。審査員に氣になる人が何人かゐますが、生前の河野さんの功績が、かうやつて幾久しく受け繼がれていくことに喜びを覺へます。

 私は、自分の和歌がへたくそなのは、私自身が痛烈に自覺してゐます。ブログで、そのへたくそな和歌を掲載することに、躊躇してゐたとき、河野さんの著作に出逢ひました。河野さんはその中で「いいのいいの。出来榮へなんか氣にせずに、どんどん詠めばいいの」と仰つてゐました。それを讀んで、氣持ちがスーーーっと樂になりました。なので、どんどん詠むことにしました。私の生きる唯一の目的と目標は、「本來の立派な日本人になる」ことです。和歌を詠まないとね。
河野裕子
昭和二十一年熊本県生まれ
京都女子大在學中の昭和四十四年「桜花の記憶」で角川短歌賞を受賞し文壇デビュー
平成二十一年 「母系」で斎藤茂吉短歌文學賞と迢空賞(ちょうくうしょう)を受賞 宮中歌會始の選者を務めた。
乳がんをわずらひながらも同年9月からスタートした産經新聞夕刊(大阪本社發行)で、四人全員が歌人といふ家族によるリレーエッセー「お茶にしようか」を連載。
平成二十二年八月 家族に看取られながら死去。
連載は「家族の歌」として出版された。他の主な著書に「ひろがほ」「桜森」「歩く」「蝉声(せんせい)」などがある

 私より十二歳お姉さんですが、惚れてしまひます。もう亡くなつて五年も經つのですね。早いな~。

 受賞された歌をみてみませう。

補聴器とふ 貝をつまみて 母の手は 耳に明るき 夜を運びぬ
 なんて豐かな表現なんでせう

人類が 二足歩行を 選びとる この両腕に 君を抱くため
 この歌は、感動で背中がぞくぞくします。いい。すごくいい。まだ三十九歳の若い主婦の方です。さうか、人類は人を愛するために二足歩行になつたのか。

関節に 機械油をさすように あなたのずれた いたわりが好き
 微笑ましいですね~。十八歳の女子高生の歌です。お父さんのことを言つてゐるのかな?戀人のことを詠んでゐるのかな?もし、戀人のことだつたら、この年ですごい女性ですね。

水たまり 幾百幾千 飛び込んで 幼子どこかへ 行つてしまえり
 四十四歳の教員の方です。

 私たち日本人は、世界で唯一歴史を連續、繼續させた民族です。家族主義といふ民主主義などははるかに凌駕する人間社會の理想を實現しながら。支那は、その家族主義を實現したくてしかたがなかつたのですが、たうたうかなひませんでした。

 續くといふことは、國でも企業でも家族でも、「髙めて繋ぐ」ことを意味します。でも、最近の我が國臣民は、「壊す」ことをして、我が國で續いてきたことを「髙める」ことをしません。

 かうやつて、河野さんの生前のご意思が高めて繋がれてゐるのを見るととても嬉しくなります。へたくそでもいいから和歌を詠みます。そして、今囘の受賞者はみんな女性。男性も負けてゐられませんね~。

生前の 殘りし意志が つながれる 髙めつなげて 人が髙まる

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このページは、宝徳 健が2015年10月21日 04:24に書いたブログ記事です。

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