大和言葉 9(皇紀弐千六百七十五年十月二十三日 弐)

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 メールでやり取りをしてゐると「暇な時に電話をください」「お暇な時にお出かけください」「暇な時に讀んでください」・・・。

 このメールをもらってから電話をするときは「自分が暇な人間だ」と認めたことになります(笑)。かういふことを指摘しても相手は「?」が頭の中を駆け巡ってゐます。同僚相手ならよいのですが、目上の人にこんな表現はやめませう。

 「すみません、少し遅れます」「あせらず來てください」もさうですね。俺はいつもあせつてゐるんかいとなります。

 このやうに、「言つてゐることは間違つてゐない」のに、日本語の使い方が間違つてゐて相手を不快にさせるケースが増えてゐます。でも、使つてゐる本人は、それに氣づいてゐないので、相手がなぜ不快になつてゐるかを理解することができません。「自分の何が惡いのか」と思つてゐます。

 言葉とは、傳達手段です。その傳達手段の中でも、我が日本語は、これほど美しいものはないといふほどのレベルなのですが、今の日本人は、それを破壊してゐます。破壊してゐてそれに氣づかない。犯罪を犯して、惡いと思はないのと同じレベルです。
 「お時間があるときに」か「お手すきなときに」です。

「〇〇社長はいらっしゃいますか?」
「〇〇は、ただいま電話中です」
「では、お手すきのときにお電話いただけますでせうか」

「こちら、とてもよい資料です。お手すきのときにでもご覧ください」

 これが、「お暇な時に見てください」だと、渡された人は、讀むことができません(笑)。讀んだら「暇な人間」といふことになります。

 かつてコンサルをしてゐたある美容室に電話をしました。美容室のオーナーは、接客してゐることが多いのです。電話をすると女性スタッフが出ました。「〇〇先生は、お手すきですか?」と聞きました。

 後日、その女性スタッフが「宝徳さん、とてもきれいな言葉ですね。私も使ふやうにしました」。

 美しいことを髙めつなげ後世に引き繼ぎませう。それが世界で唯一奇跡の國を創つた、我等日本人の使命です。

お互いの 氣持ちをあはせ 添へあつて 人の心を むすぶ言の葉

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このページは、宝徳 健が2015年10月23日 08:14に書いたブログ記事です。

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