心學 8(皇紀弐千六百七十五年十月二十四日 弐)

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 この前のつづきです。
 其宜しいのが人の道じや。道とは、古人曰はく、「道は猶(な)ほ大路(たいろ)のごとし」と。江戸へ行くも、長崎へ行くも、表へ出るも、裏へ出るも、となりへゆくも、雪穩(せっちん:トイレ)へはいるも、皆それぞれに道がある。もし道をゆかぬと、屋根ごしをしたり、溝へはまつたり、野ごし、山ごし、とつけもない所へうろたへまする。是(これ)と同じ事で、人の上でも、宜しうない事をすると、道ではござりませぬ。子は親に孝、妻は夫に貞、朋友は互ひに信、一々いはいでもしれてある。其通りさへすると、道じやによつて、互ひによろしけれども、親をなかせたり、夫に腹をたてさせたり、人を恨んだり、是みな宜しうない事じや。是が道でない故に、川へはまつたり、荊(いばら)の中へかけ込んだり、どぶへ飛び込んだりすると同じ事で、扨(さて)も難儀千萬(なんぎせんばん)なものでござります

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このページは、宝徳 健が2015年10月24日 06:15に書いたブログ記事です。

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