京都で琳派四百年祭をやつてゐます。行きたいな~。
八十歳か九十歳か、仕事を引退したら、大好きな本を一杯持つて、日本全國 旅をします。旅行ではありません。旅です。本に書いてあるところを巡り、歴史の中に軆を委ねます。どんなに倖せな時間だらうか。正倉院展や琳派四百年なんて催しがあつたら、飛んで行けるやうになりたいな~。
私は元來、すさまじい怠け者です。だから、仕事をしてゐないとダメになります。ルーティンなんかを課しておかないと、とんでもないことになります。今はそれでいい。
さて、神武天皇崩御二千六百年に向けて、神武天皇=カムヤマトイハレビコノミコトに關する古事記の部分をおさらひしませう。神話とは、祖先の遺言です。
さうだ、三種の神器をちやんと云へますか?
やたのかがみ
くさなぎのつるぎ(または、あめのむらくものつるぎ)
やさかにのまがたま
では、私の著作「どの本よりもわかりやすい古事記」からです。
かつて、教育基本法の改正が国会で審議されました。「國を愛する心」の記述で、もめましたが、情けない。國を愛して何が悪いのでせうか。愛するといふことは、良いところも惡いところもすべて受け止めるということです。敗戰後GHQが日本に押しつけた戦争犯罪プログラム(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の申し子たちが譯の分からないことを言つてゐます。特に、昭和二桁以降の生まれはこの考え方を強烈に植ゑつけられたため、その世代とその世代に育てられた人の多くがこの考え方を持つやうです。
古事記をみてもわかりますように、すばらしい文化です。それを、日本人のほとんどが知らないという嘆かわしい事實。 自分も含めて、私たちは、間違つた敎育を受けてきたことの認識からスタートすることが大切です。
さて、國を統治した山彦です。
あるとき、トヨタマビメ(以下、ト)がたずねてきました。 ト「御子の子を宿しました。天つ神の子を海の中で生むわけにはいきませんので、かうして訪ねてきました」。 山彦(以下、ヤ) ヤ「それはよかつた、さっそく産屋(うぶや)をつくらせやう」。 ところが、まだ産屋の屋根ができないうちにトヨタマビメが産気づきました。 ト「では、これから産屋に入ります。でも、出産のときは、女はみんな 故国の姿に戻ってしまいます。ですから、出産のときは、絶対に中をご覧にならないでください。 ヤ「わかった」
※女性の出産に男は立ちあつてはいけないといふ祖先の遺言です。おかしな世の中にしてはいけません。
海岸)
とは、いふものの山彦は氣になって仕方がありません。そつと、中を覗きました。すると、大きなワニ(西日本ではサメのことをワニと言います)が、身悶えながら出産をしているではありませんか。これはたまらぬと山彦は逃げ出してしまいました。
トヨタマビメは覗かれたことに氣づき、産まれた赤子を残して、「なんで、ご覧になったのですか? もう私はここにゐることはできません」と言ひ殘して海の世界に歸つていきました。トヨタマビメは、海の世界に歸つたものの、殘してきた子供が氣がかりでなりません。妹のタマヨリビメをわが子の養育係として送り出しました。
そのとき、トヨタマビメが送った和歌が、
赤玉は 緒さえ光れど 白玉の 君が装いし 貴くありけり(あのかわいいこどもをどうか御子様 大切に育ててください)
山彦が返した和歌が
沖つ鳥 鴨著く(かもどく)島に 我が率寝し(いねし) 妹は忘れ児 世のことごとに(ずっとこの子を大切にする)
山彦はホオリノミコトといい高千穂の宮に580年間も住みました。山彦の子供は、その養育者であり、叔母でもあった、タマヨリビメと結婚しまし た。そして、生まれた子供が、初代天皇である 神武天皇です。
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