大和言葉 十一(皇紀弐千六百七十五年十月二十五日)

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 知らない言葉がたくさん出てきますね~。知つてゐても使つてゐません。なんともつたいない。これほど美しい言葉を私達はなぜ、おろそかにするのでせうか。今、「おろそか」といふ言葉を使ひました。この言葉の大和言葉を本日は紹介します。

 江藤淳さんといふ尊敬する方がいらっしゃいます。保守の論客でした(亡くなつてゐます)。その方の「こころ と こと と ことば」(確かそんなタイトル)といふ作品を讀んだことがあります。なんせ三十年前のことなので、間違つてゐたらご容赦下さい。

 かつての我が日本語は、「こころ」に純粋に思つたことを、「こと(行動など)」にあらはすことができ、そして、それを「言葉」に出來たのだといふ内容だつたと・・・。

 なので、發する言葉がとても純粋で美しかつたさうです。ですから、我が國は、「言霊(ことだま)のさきはう國(美しい言葉を使ふから、美しい國になり、みんなが幸せになる國)」だつたのでせう。

 今日の大和言葉は「ゆるがせ」です。
 物事をおそろかにすることを「ゆるがせ」と云ひます。「ゆるがせにしない」といふ否定形で用ひることで、相手との約束や取り決めをおろそかにしない、といふ決意の固さをあらはします。

 「あなたとのお約束は、決してゆるがせにしませんので、私にこのことをお任せいただけませんでせうか?」のやうに使ひます。このやうに問いかけ形式にすると安心感も出てきます。

 まさに、「一味神水(いちみしんすい:もし約束に背いたときは、神佛のいかなる罰をも受ける覺悟でゐること)」ですね。

 ああ、私は今、五十七歳です。かういふことを學習していくと、今での不勉強さが身に染みてわかります。恥じます。

 私の生きる唯一の目的と目標は、「本來の立派な日本人になること」です。

 「この自分との約束は、決してゆるがせにはしません」。

自らの 思ひをなすは このひとつ 大和言葉を 學びゆくこと

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このページは、宝徳 健が2015年10月25日 09:09に書いたブログ記事です。

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