心學 九(皇紀弐千六百七十五年十月三十日 參)

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 つづきです。肩ひじ張らずに、さら~っと讀むのが心學の神髄みたいですね。お樂しみください。
 尤(もつと)も道はどこらにあるやら、とくと考へねば成りませぬ。幸(さひは)ひ中澤道二(なかざわだうに)先生の御はなしを承(うけたまは)り傳(つた)へました事がござります。序(ついで)に御はなし申(まを)しませう。

 中澤先生、ひとゝせ摂州池田へ道話に參られ、或豪家に逗留いたした所が、その家の主人、もとより心學執心故、先生をもてなしのあまり、十四五になる娘を呼び出し、道二先生の饗應をさせられました。此娘御、容儀(きりやう)もすぐれ、行儀もよく、花をいけ、茶をたて、琴をひき、また先生をなぐさめ、歌などをよまれました。ソコデ先生、その親たちへ挨拶に、『是ほどにおそだてなされるは、なみ〱の事ではござるまい』と申されたれば、親達が、圖(図)にのり、

『嫁入りして先方で恥をかきませぬやうにと、只今いたした外に、松明、花むすぎ、畫(ゑ)も少しは習はせました』と段々の娘自慢。

 ソコデ先生が、

 つづき。先生はなんと仰つたのでせうか。

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このページは、宝徳 健が2015年10月30日 03:49に書いたブログ記事です。

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