つづきです。少しあいてしまつてすみません。
四 京の蛙と大阪の蛙
うき中の ならひとしらば かくばかり 花のゆふべの ちぎりなるとも
此(この)唱歌で御考へなされて御らうじませ。是(これ)はこれ、若い男(をとこ)と女(をんな)と、親のゆるさぬ縁むすび、面白からうと思ひのほか、おもふやうにならぬ。ういつらひ世の中じやとしつたら、かうはせまいものと、後悔(こうくわい)した文句でござります。こんなことは世間にはまゝあることゝ嫁を貰(もら)うたら面白からうの、世帯を持つたらうれしからうのと、鍋尻こがさぬ畑水練のムチヤクチヤじあん。思ひの外(ほか)に、所帯を持つて見ると、面白うもなんともない。唯今日に追ひ廻され、髪もかたちもかまはばこそ、まき髪に前垂帯、ふところへ子をねぢこんで、みそこしさげて歩いて見たがよい。どのやうなものであらうぞ。是みな親の敎訓をきかず、時節到來をまたずして、はやまつて俄(にはか)所帯。これは誰がしつた事じや。皆おのれおのれがいたづらから。
コメントする