大和言葉 廿七(皇紀弐千六百七十五年十一月二十六日 弐)

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 以前に比べ、企業現場で経営陣-社員、社員間がぎくしゃくしてゐる場面が増えてきました。その最大の原因は、日本語の亂れです。相手を受け止める力が弱い。

 私もよく體驗するのが、「この人は、どうしてこんな表現をするのだらう。どうしてこんな言葉をここで使ふのだらう」です。本人には惡氣はないのですが、聞いていて腹が立つと同時に不思議でなりません。云はうとしてゐることは間違つてゐないのに、傳はり方が崩壊してしまつてゐます。

 言霊(ことだま)がさきはつてゐないのですね。せつかく、世界で最も美しい言語を有する我が日本なのですから、ただしい日本語を使いませう。もめなくていいところでもめないやうになります。

 今日の大和言葉は「あたら」です。
 優れたものや立派なもの、價値があるものに對して、それが失はれたり、無視されたりして虚しく終はつてしまふのが殘念だとる気持ちをあらはします。

「あたら美しい日本語を破壊してゐるのは殘念です」

 若い人が亡くなつたときは

「あたら花を散らしたと思ふと殘念です」

と惜しみます。

 他にも名詞の前におかれて、そのものが惜しいといふ気持ちをあらはすことができます。

 「あたら夜」は「ただ、夜が明けるまで過ごしてしまふのがもつたいない貴重な夜」です。

 玉しげく 明けまく惜しき あたら夜を 衣手離(か)れて ひとりかも寢む

 万葉集の歌です。明けてしまふのが惜しい夜を詠んでゐます。

 和歌は素敵ですね。

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このページは、宝徳 健が2015年11月26日 04:30に書いたブログ記事です。

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