2015年12月アーカイブ

 昨日、帰省した息子と話しました。私は、彼に対して抵抗力がマイナスです。何かをねだられるとそれを聞いてしまふでせう。もつとも彼は、本以外はねだりませんが。

 彼と話をしてゐても、慰安婦の問題は出てきませんでした。語るに足りないといふことなのでせう。まだ何も結果が出てゐないのに、ガタガタわめく似非保守から脱皮しませう。

 稲田朋美が、おかしいですね。
 保守、保守と騒いでゐる似非保守がたくさんゐます。今囘の慰安婦問題で、安倍さんのフェイスブックが反對であふれてゐるさうですが、地政學も理解せず、ただ、自分の思ひ込みだけで騒いでゐる、まさに似非保守です。

 支那の古語に

燕雀いづくんぞ鴻鵠の志をしらんや
(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)

というのがありますが、まさに似非保守たちに捧げる言葉です。

 意味は、「大空を飛んですべてがみえている大鵬の考え方が、燕や雀などの小物にわかるものか」
です。

 もつと勉強しろよ!!!思い込みと勉強は違ひます。
 今更「年末の目標」はないでしょう(笑)。それとたった四日間しかありません(明日から、三日まで休みます:獨立してから年末年始にこんなに休むのは初めてです)。

 でもまあ、氣が緩まないやうに。

 實は、一昨日、徹夜仕事をしました。まだ、徹夜はとても怖かつたのですが、今囘は、やつてみて、前と同じ感覺でした。やった!できる!

 これで仕事のペースが戻ります。よかった。
 繰り返しておきますが、このシリーズ(あまり書いてゐませんが)は、「多くの」といふ言葉が着きます。そして、そのほとんどが「多くの」醫者を意味します。

 醫療業界の發展を阻害しているのは、間違いなく「多くの(今後この言葉は書きませんが)」醫者です。しかしながら、世間一般が、醫者を、その實際の價値以上に髙く評價しすぎてゐるのが現状です。この價値と評價の、大きなギャップが、他の業界では絶對に認められない常識を平氣でないがしろにします。
 來年、開館五十周年を迎へる出光美術館の記念展示會 第四弾です。
 先日、髙校時代の友達とメールのやりとりをしてゐたら、焼き鳥屋の「豚バラ」の話が出てきました。僕が秋吉といふ福井の焼き鳥屋に行つたと言つたら、「豚バラがあるけんびつくりした」とメールが來ました。

 「えっ?どこでもあるっちゃないと」と思い、いろいろ調べましたが、へーーー、まず關東にはないんですね~。關西ではあるところはありますが、あまり意識してゐません。

 博多では、豚バラは普通というか絶對に食べるメニューです。
豚バラ
秋吉の豚バラ
 醫療機關に物申すが書けてゐません。實際に、醫療機關のコンサルを始めると、書くのが怖くなります。特に、醫者の實態を知れば知るほど。大丈夫かいな。もう少し、心を整えることが出来てから書きます。かなり勇氣がゐることですね。

 さて、ITが發達して失つたものがたくさんあることにはお氣づきでせう。私自身、ヤフーの路線情報檢索でスケジュール設定をします。情けない。でも、子供の頃から鍛えられてゐるので、いまだに時刻表を讀むことはできます。今の表現に氣をつけてくださいね。時刻表を「見る」といふ人がたくさんゐます。時刻表は「見る」のではなく、「讀む」ものです。時刻表を讀みながら、次にどこの旅をしようかとあれこれ思ひをめぐらすときの樂しさ。この樂しさを知らないまま一生を終える人がたくさんゐるのでせうね。かはいさうに(かはいさうとはかういふときに使ひます)。

 出光美術館が、來年開館五十周年を迎へます。昨年だったかな?一昨年だったかな?出光美術館が新たな美術品を購入しないと發表しました。美術界は「出光が美術品を賈はなくなつた」と大騒ぎになりました。贅沢はいけませんが、歴史と文化を見つめる眼は、どんなに經營環境が變はつても持ち續けてもらひたいものです。

 さて、第三弾を紹介します。來年の六月十八日~七月十七日までです。
 大和言葉シリーズは、今囘で締めます。まだまだたくさんあるのですが。時々紹介しますね。でも、この四十囘で紹介した言葉だけです。かなり參考になつたと思ひます。そして、我が日本が

言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ國

であることを我が國臣民が思ひ出すことが大切です。美しい言葉をお互ひに使ひあふ。だから、みんなが幸せになる。このことを知らないでいては、どんなに勉強でよい點をとつても何にもなりません。

 次は何を書こうかなあ。手紙に使ふ言葉でもいいし。色なんかもいいですね。

 さて、私は、枕草子が大好きです。著者の清少納言が面白い。あんなおてんば娘はいませんね。笑つてしまひます。


 さあ、仕事のまとめに入ります。年内にどこまでできるか。

 それにしても、數日前までの産經新聞はひどかったですね。産經は時々かういふことをやります。産經にも左翼や創価学會が入り込んでいるのでせう。彼らは、いろいろな組織に入り込み、ねちねちといやらしいことをやります。

 あの極惡非道のマッカーサーを賛美してゐました。マッカーサーがどれだけひどかつたかは、このブログで繰り返し述べてきましたので、本日は割愛しますが、騙されないようにしませう。メディアは醜い。どの新聞も最近のあのひどさはどうでせう。メディアに從事する人間のレベルがどんどん低下してゐるのでせうね。醜い。

 さて、出光美術館が來年 開館五十周年を迎へます。シリーズで記念展示會が催されます。すべて觀に行きます。前囘は第一囘目を紹介しました。今日は、第二囘目を。
 子供の頃、影踏みをして遊びませんでしたか? 私たちの子供の頃は、まだ我が國が貧しく、親は子供に十分なおもちゃなどを賈ひ與へることができませんでした。また、あのバカみたいなITなんかもありませんでした。

 野球ゲームや人生ゲームを持つてゐる子供は英雄(笑)でした。

 親も、「家の中で何をしてゐるの!子供は外で遊んでいらっしゃい!」と云ひました。

 外に行つて樂むためには、自らが工夫して、遊びを創造するしかありませんでした。
 古事記は、男女の構造の違ひと役割の違いを延々と述べてゐます。だから、我が國は、男女の役割をきちんと區別し、よき家族主義を構築した上で、世界で唯一 歴史が連續した國を創りました。

 この「かうすれば平和な國家が續くんだよ」といふ祖先の遺言を最近、ないがしろにする輩が増えてこまります。

 先の夫婦別姓制度もさうです。あの、愚かなる日經の春秋などは、夫婦別姓を肯定してゐました。家に名前が出來たのは明治以降だとかほざいて。家族主義といふことを無視して、ひとつの欠片(かけら)だけひろいあげて議論する。左翼の常とう手段です。

 最高裁で、夫婦別姓に賛成した判事が5人もゐました。此の愚か者たちは、次の衆議院選挙の際の、國民審査で首にしませう。

 さて、國會議員がこんな愚か者でいいのか。
 今日は、天長節です。天皇誕生日ではきちんと歴史を理解することはできません。

 敗戰前は、四方排、紀元節、明治節、天長節が四大節でした。
 先日、父と息子と三人で會食をしました。父は、とてもうれしさうでした。

 父は、孫となる私の息子に、これまでの寳德家のことを必死に傳へようとします。會ふ度に。息子の私では信用できないのでせうか(笑)。まあ、年を取つたときに、引き繼げる息子が適齢期だといふこともあるのでせう。父が傳へることは、私と息子が命を懸けて、次につないで行く使命があります。

 今囘は、現段階で遡れることが可能なまでの祖先の話しでした。
 駆逐艦「雷(いかづち)」の話しはご存知でせうか?

 先の大戰中、昭和十七年三月二日、ジャワ・スラバヤ沖海戰のあと、海上には撃沈された多數の英兵が漂流してゐました。その時、駆逐艦「雷」の艦長 工藤俊作はただちに停船命令を出し、自艦の乘組員數をはるかに上囘る四百四十二名もの英軍將兵の救助を命じました。


駆逐艦 雷

 出光美術館が來年開館五十周年を迎へます。

 古今東西最高の經營者 出光佐三店主が日本の文化を守るため美術品の収集を始めました。敗戰後、莫大な借金を抱え、海外から引き揚げて來る數百人の社員を一人も首にしなかつたとき、財政難から一時そのコレクションを手放しましたが、その後また収集してゐます。

 それはそれは素晴らしいコレクションがあります。來年は、その素晴らしさがシリーズで觀ることができます。毎囘必ず觀に行きます。
 「祖父と孫の命のリレー」は明日から書きます。締め切りが迫つた志事があるので、今日のブログはこの記事までです。

 私たちの子供のころ、舗装されてゐる道路は、幹線道路ぐらいでした。普通の道路は砂利道です。雨が降ると、水たまりができてぐちゃぐちゃです。でも、子供にとつては、そのぐちゃぐちゃも樂しいものでした。

 今の子はかはいさうですね~。ITばかりで、こんな樂しい遊びを知らない。

 冬になるとその水たまりに氷が張ります。
 士魂商才が書けてゐません。申し譯ございません。年末年始に書いて、年明けすぐに皆さんにお届けします。年末年始で士魂商才のペースを取り戻します。書くのは二日ほどで書けるのですが、一氣に書かないとペースがつかめません。また、氣力が體中に充満しないと書けません。まだ、その氣力を支える體力が囘復してゐません。

 さて、海上自衞隊に素晴らしい護衛艦があります。その名も「あきづき」。艦艇番號115です。帝國海軍から受け繼がれてゐる由緒ある名前です。
 申し譯ございません。本日のブログはこれだけです。しかも、短いものです。

 先日、父と息子と三人で、出光美術館に行き、その後、會食をしました。親子三代です。

 以前からさうだつたのですが、父は、私の息子(孫)に、寳德家のこと、祖先のことなどをつなごうつなごうとします。息子の私では心配なのかしら(笑)。息子には十分傳へたといふ自信なのかしら?

 今囘もさうでした。立派な資料を創つて、彼に説明してゐました。私の息子は、聞き上手です。そして、社會人になつて、以前とは比べものにならないぐらいに、明るくなりました。親が成長の邪魔をしてゐたのですね。

 父が傳へやうとしてゐることを次囘からシリーズで紹介していきます。寳德家の歴史でもあります。
 一年である時期になると就職協定記事のが、新聞を飾ります。

 あっ、さうだ。マタハラも最近、よく新聞記事になります。いじめといふのは避けなければなりませんが、いつも思ふのが「優秀な確保しておきたい人材なら、妊娠したからと云つて辞めろとはいはないだらうな~」です。これ以上のコメントは差し控えます。

 話を戻します。今は、ネットで學生が會社に申し込むやうです。
 昨日は、赤穂浪士の討ち入りの日でした。かつては、この日になると、忠臣蔵がTVで放映されたものですが、今はさつぱりです。時代劇そのものがなくなりましたね。

 さて、原子力規制委員會が、我が國を滅ぼさうとしてゐます。原子力規制委員會は、公正取引委員會と同じで、三条委員會と呼ばれるものです。総理大臣でさへ影響力を及ぼすことができません。

 あの愚劣な菅が総理大臣の時につくつたものです。

これまでの大和言葉

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 一度、まとめておきますね。
 これは、大和言葉に入るのかどうか自信がありませんが・・・。でも、大和言葉を使ふのは「乙なもの」ですね。なんて使ふと良いのでは。あれっ? では、どうして「甲なもの」ではなく「乙なもの」になつたのでせうか?

 調べてみると定説は、ないやうです。といふか、これに関しては、バトルのやうな激論が交はされてゐます(笑)。そんなに力まなくても・・・。
 今日は、バッテリーの日です。「1番:ピッチャー」「2番:キャッチャー」が二回續くからです。よく考へますよね(笑)。我が日本人は、遊び心の天才です。昔、スタンドでこの日によくカーバッテリーのキャンペーンをやつたものです。


 漢字の日でもあります。「1(いい)2(字)」が續くからです。


 ダズンローズデー:12本のバラを戀人に贈る日です。)


 明太子の日:大正三年(1914年)のこの日の関門日日新聞で、日本で初めて「明太子」という名称が新聞で使われました。


 何事も樂しむ、我が日本のよさがここにもあります。

 さて、九月の入院は、私の生活に新たな手法を教へてくれました。
 よく、「頑張ります」といふ言葉を聞きます。「何を?」と聞き返したくなります。

 企業現場で「明日は頑張ります」と言つて、次の日に頑張つた人を見たことがありません。明日頑張れるなら、なぜ、今日、頑張らないのか?

 この「頑張る」といふのは「我を張る」が語源です。
 もう、新聞を讀んだり、テレビを觀たり(觀ないのですが)するのが嫌になる報道ばかりです。ひとつは、昨日の記事の内容です。

 そして、チャンピオンは消費税です。もj、二十九年四月に消費税を増税するのが既定路線だといふ報道ばかりです(消費増税は間違つた言葉。消費税増税です)。l
 「不合理、不都合、鬱陶しさ」を乘り越えた時に、初めて自分に成長が訪れる。「慟哭の中にしか眞理はない」といふ言葉は、今の世相では通じないのでせうか(時代を超えたこの眞實が)。

 そして、武士道には「惻隠の情(そくいんのじょう)」があります。嚴びしい中にもそつと、苦しい人に力を添へる。そして、その人に、そつと、氣を合はせてあげる。かつても出光も嚴びしかつたのですが、この惻隠の情がありました。どれだけそのことが助けになつたのかわからないほどです。

 會社が嚴びしくても、周りの人が、この惻隠の情をその人に添へてあげなかつたのでせうか? ブラック企業といふよりも、その事を創造してゐないことに問題があります。

 「當たる」といふ問題點・課題を解決・對應ひていく術よりも、「統べる」といふ人の心を汲み取り合ふことが大切です。そして、それが「シラス」といふ我が日本の國體です。

 大和言葉には、そんな氣持ちがたくさん詰まつてゐます。悲しい、苦しい報道を觀るたびに、國體をないがしろにする、現代の私達が悲しくなつてしまひます。
 私たちの時代、出光興産では、新入社員が入つたら上司は、親に手紙を書いてゐました。最初はガソリンスタンド勤務ですから、直營スタンドの主任が私の父にも、手紙を書きました。

 すると父から主任に返事が來ました。そこにはかう書いてあつたさうです。

「自分が好きで入つた會社です。煮るなり燒くなり、好きにしてください」と。
 うっへ~、昨日は、家で寢たら今朝は、寢坊してしまひました。起きたら六時・・・。

 大和言葉もブログは、今日、昼休みにでも書きます。樂しみにしてくださつてゐる人が多いので。みんなで言霊が幸(さきは)ふ國を創りませうね。

 學生時代は、岩波書店が出版した本をよく讀みました。でも、なんかすつきりしない感覺が殘つてばかりゐました。
 今日は、事納の日です。その年の農事の雑事をしまふ日です。江戸時代には、里芋・こんにゃく・にんじん・小豆を入れた「御事汁」を食べました。農事を始める「御事始め」は二月八日です。關西では針供養が十二月八日に行はれます。全國的には二月八日です。

 このやうに我が國の行事は、農事が中心となりました。祭日も(今、我が國に祭日はない。GHQに廢止されたままです。神事=天皇陛下につながるからです)。

 そして、大東亞戰爭開戦日です。
 ある美容室で、どうしても売上がなかなか向上しないスタイリストがゐました。技術は抜群です。でもあがらない。
 どこかの縣が同性愛者を否定したら「差別だ」とメディアが騒いでゐました。
 ラグビーワールドカップに福岡選手が出場してゐました。天才ウィングです(11番)。彼は今、筑波大學在籍ですが、髙校は、我が出身校 福岡縣立福岡髙等學校です。我が母校は、かつてラグビーの名門校でした。花園出場囘數は、秋田工業についで二位の時期が長くありました。もちろん全國優勝の經驗も何度もあります。


 福髙では、男子は全員ラグビーができます。普通に體育の授業でもラグビーの時間がありますし、クラスマッチでもあります。クラスマッチでは、腦震盪を起こす生徒などざらです。我が母校を卒業してラグビーのルールも知らない人間(男子)は、一人もゐません。

 私達の髙校時代は、學校でけがをするとか、先生に怒られるといふのは、恥で、家に歸つてそれを云ふと親にひどく怒られました。自己責任の時代です。だから、家に歸つても、そんなことをいちいち親に云ひませんし、もし、親が知つても、學校に文句を云ひに行くなど考へられませんでした。「迷惑をかけました」とお詫びに行くことはあつても。今のひ弱な時代とは違ひます。

 福髙の福岡君は、将來は醫者になりたいさうです。親御さんには「28歳までラグビーをやらせてくれ。その後醫者になる」と傳へてゐるさうです。博多つ子です。根性があります。男は根性以外何もいらない。

 さて、福岡君に續き、またまたすごい後輩が。
 PMPといふ表現方法があります。

 通常、よく行われてゐる人との會話では、「〇〇はいいけど、××はダメだから直してください」です。この「けど」が曲者です。この言葉を受け取つた相手は、否定された氣分になるでせう。イエス・バット法と云ひます。

 これを一歩するめたのがイエス・アンド法です。「〇〇はいいね。だから××を直すともつとよくなりますよ」です。肯定が後に殘ります。

 これをさらに進めたのがPNPです。
 みなさん、お詫びしなければならないことがあります。
 昨日、岐阜ハートセンターに檢査と診察に行つてきました。

 どの數値も益々改善<(`^´)>。

 その中で知らなかつたのですが、BNPといふ數値がありました。どの測定項目の改善よりも、醫師が一番喜んでくれたのが、この數値の改善です。

 心臓の元氣度がわかるホルモンの檢査ださうです。

 師走ですね。みなさん、體調を崩さず事故のないやうに素敵な新年を迎へませう。

 私はテレビを觀ませんし、新聞のイベント欄も讀みません。會員になつてゐるのは伊勢神宮、橿原神宮、宗像大社、靖國神社、唐招提寺などなどです。タウン誌もパラパラと目を通すぐらいです。

 なので、大切なイベント情報を見逃すことがあります。見世物小屋の藝能人なんかのイベントなどはどうでもいいのですが、今囘も・・・。

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