大和言葉 參十參(皇紀弐千六百七十五年十二月十日 弐)

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 「不合理、不都合、鬱陶しさ」を乘り越えた時に、初めて自分に成長が訪れる。「慟哭の中にしか眞理はない」といふ言葉は、今の世相では通じないのでせうか(時代を超えたこの眞實が)。

 そして、武士道には「惻隠の情(そくいんのじょう)」があります。嚴びしい中にもそつと、苦しい人に力を添へる。そして、その人に、そつと、氣を合はせてあげる。かつても出光も嚴びしかつたのですが、この惻隠の情がありました。どれだけそのことが助けになつたのかわからないほどです。

 會社が嚴びしくても、周りの人が、この惻隠の情をその人に添へてあげなかつたのでせうか? ブラック企業といふよりも、その事を創造してゐないことに問題があります。

 「當たる」といふ問題點・課題を解決・對應ひていく術よりも、「統べる」といふ人の心を汲み取り合ふことが大切です。そして、それが「シラス」といふ我が日本の國體です。

 大和言葉には、そんな氣持ちがたくさん詰まつてゐます。悲しい、苦しい報道を觀るたびに、國體をないがしろにする、現代の私達が悲しくなつてしまひます。
 苦しくても「おくびにも出さない」。それが志事です。でも、それを周りの人が「氣合ひ」、それとなく「力を添へ合ふ」。その強さを社會が求めて行くことが、今の我が國の最大の課題です。

 今日の大和言葉は「おくび」です。胃にたまつたガスが口から體外に出ることを「おくび」と云ひます。

 「おくびにも出さない」とは、胸に秘めたことを、口外せず、周囲にもそんなそぶりもみせない強さです。でも、周りはそれを知つてゐる。そして、「氣合ひ」「力を添へる」。

 そんな社會を創りたい。そんな志事がしたい。そんな志事を廣げたい。

  だいたい、志事で死ぬことなどあり得ない。

おくびにも 出さず不合理に 耐へていく その和求めて 人強くなる

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このページは、宝徳 健が2015年12月10日 08:04に書いたブログ記事です。

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