祖父と孫との命のリレー 壱(皇紀弐千六百七十五年十二月二十二日 參)

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 先日、父と息子と三人で會食をしました。父は、とてもうれしさうでした。

 父は、孫となる私の息子に、これまでの寳德家のことを必死に傳へようとします。會ふ度に。息子の私では信用できないのでせうか(笑)。まあ、年を取つたときに、引き繼げる息子が適齢期だといふこともあるのでせう。父が傳へることは、私と息子が命を懸けて、次につないで行く使命があります。

 今囘は、現段階で遡れることが可能なまでの祖先の話しでした。
 よく調べたものです。我が家の本籍地の変遷です。

北海道苫前郡苫前村第二十二番地(現苫前町)
福井県丹生郡(にゅうぐん)上岬(うえみさき)村玉川第三十八號四十五番地
福井県丹生郡四ケ浦町(しかうらまち)玉川第三十九號二十一番地(町村合併による地番變更)
福井県丹生郡越前町玉川第三十九號二十一番地(町村合併による地番變更)
福井県敦賀市敦賀町津内百八十三號二十一番地
福井県丹生郡越前町玉川第三十九号二十一番地

 へええーーーー。知りませんでした。北海道だつたのですね。これには實は、理由があります。次囘のお樂しみに。

 來年は、苫前に行つて、これより前の系譜を調べてきます。

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このページは、宝徳 健が2015年12月22日 08:24に書いたブログ記事です。

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