出光美術館 弐(皇紀弐千六百七十五年十二月二十六日)

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 さあ、仕事のまとめに入ります。年内にどこまでできるか。

 それにしても、數日前までの産經新聞はひどかったですね。産經は時々かういふことをやります。産經にも左翼や創価学會が入り込んでいるのでせう。彼らは、いろいろな組織に入り込み、ねちねちといやらしいことをやります。

 あの極惡非道のマッカーサーを賛美してゐました。マッカーサーがどれだけひどかつたかは、このブログで繰り返し述べてきましたので、本日は割愛しますが、騙されないようにしませう。メディアは醜い。どの新聞も最近のあのひどさはどうでせう。メディアに從事する人間のレベルがどんどん低下してゐるのでせうね。醜い。

 さて、出光美術館が來年 開館五十周年を迎へます。シリーズで記念展示會が催されます。すべて觀に行きます。前囘は第一囘目を紹介しました。今日は、第二囘目を。

開館50周年記念美の祝典Ⅱ ―水墨の壮美 出光美術館HPより

第二部のテーマは、「水墨画」。幻想的な山水の光景に恋し、清閑な情趣を感じ取った画家たちは、筆墨の妙が余白にひびく余韻に独自の美を見いだしま した。中国画を手本に学び、そこにわが国ならではの風情を重ね合わせることで、日本の水墨画は大いなる発展をみたのでした。本展では、牧谿・玉澗の瀟湘八 景図をはじめ、能阿弥「四季花鳥図屏風」(応仁3年(1469) 重要文化財)、長谷川等伯「竹鶴図屏風」(桃山時代)、池大雅「十二ヵ月離合山水図屏風」(江戸時代 重要文化財)、田能村竹田「梅花書屋図」(江戸時代 重要文化財)など、教科書でも馴染みの深い巨匠たちの優品をご堪能いただきます。なおこの期間、国宝「伴大納言絵巻」中巻(左図版下)を特別展示します。


 ああ・・・、いい。今からもうワクワクします。
牧谿・玉澗の瀟湘八 景図


能阿弥「四季花鳥図屏風」

 そして、伴大納言繪巻の中巻です。こんな豪華な美術展があるでせうか。

中巻(ウィキペディアより)

(詞書の大意)左大臣は何も悪いことをした覚えがないのに、こうして無実の罪をきせられることを嘆き、自邸の庭に荒薦(あらごも)を敷き、束帯姿の 正装で天の神に無実を訴えた。そこへ、馬に乗って赦免の使者がやってくる。「いよいよ処罰されるのか」と早とちりした左大臣家の人々は家じゅう悲しみ叫ぶ が、左大臣は赦免されるのだと知って、今度はうれし泣きすることおびただしい。左大臣は、「宮仕えをしていれば、こうして無実の罪に当たることもあるの だ」と思い、宮仕えにも精勤しなくなってしまった。

左京五条のあたりに住んでいた右兵衛の舎人という者がいた。去る年の秋の頃、舎人が役所の仕事を終えて、夜遅く家に帰ろうとして、応天門の前を通り かかった時のことだ。門に人の気配とひそひそ声がする。舎人が回廊のかげに隠れて見ていると、門の楼上から降りてきたのは伴大納言ではないか。続いて、大 納言の子と雑色の「とよきよ」[4]と いう者も降りてきた。「一体何をやっているのだろう」と、わけもわからずに見ていると、この3人は南の朱雀門の方へ走り去った。舎人もその場を離れ家路に つくが、二条堀川のあたりまで来ると、「宮中が火事だ」と騒ぐ声がする。振り返って見ると火事は内裏の方らしい。走り戻って見ると、応天門が燃えているで はないか。舎人は「さきほどの人々は放火のために門に上っていたのか」と思ったが、口には出さずにいた。「左大臣が犯人として処罰されるようだ」という話 を聞いて、舎人は「真犯人は他にいるのに、なんということだ」と思ったが、かわいそうにと思いつつも口外はできずにいた。その後、左大臣が赦免されたと聞 くと、舎人は「無実の罪はいずれ晴れるものなのだ」と思った。

そうこうするうちに9月頃になった。舎人の子どもと、隣家に住んでいる伴大納言の出納の子どもとが喧嘩をしていた。舎人の子どもは喧嘩を止めようと 家から出てきた。そこへ伴大納言の出納も家から飛び出してきた。出納は、自分の子どもを家に入れ、舎人の子どもの髪をつかみ、打ち伏せて、死ぬばかりに踏 みつけた。

舎人「子ども同士の喧嘩ではないか。うちの子どもだけを死ぬほど踏みつけるとは何事か」。
出納「舎人ふぜいが何をぬかすか。おれの主君の大納言様がいる限り、おれが何をしようと何のお咎めもないさ」
舎人「主人の大納言が偉いとでも思っているのか。おれが黙っているからお前の主人も人並みにしていられるのだ。おれが口を開いて大納言の秘密をばらせば、大納言はただではすまないのだぞ」

怒った出納は家に入ってしまった。





 ああ、もうだめ。エクスタシー。早く始まらないかなあ。

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このページは、宝徳 健が2015年12月26日 06:45に書いたブログ記事です。

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