元日に、父からメールが來ました。前囘 我が家の本籍をたどつていくと、北海道苫前にぶち當たることを紹介しました。今年は、親父、私、息子の三人で、ここを訪ね、原戸籍(はらこせき)を取り、さらに、ルーツを遡ります。親子三代ルーツの旅をします。とても樂しみです。
我が家を遡るとかうなります。
寳德 真大(まさひろ:息子)
寳德 健(私)
寳德 佳男(父)
寳德 義一(ぎいち:祖父、祖母はツイ)
寳德 寳四朗(ほうしろう:妻は、つる)
寳德 惣四朗(そうしろう:妻は、かの)
我が家を遡るとかうなります。
寳德 真大(まさひろ:息子)
寳德 健(私)
寳德 佳男(父)
寳德 義一(ぎいち:祖父、祖母はツイ)
寳德 寳四朗(ほうしろう:妻は、つる)
寳德 惣四朗(そうしろう:妻は、かの)
寳四朗までは、今の本籍 福井県丹生郡越前町玉川でわかるのですが、惣四朗からは、苫前に行つて、原戸籍をとらないと遡ることができません。その旅に出ようと云ふのです。
父から、孫に當てた手紙の續きを紹介します。
□宝徳 佳男から見た系譜
●曽祖父母(寳德 惣四朗・かの)は、北海道苫前郡苫前村第22番地に本籍を置いていたので、それ以前のことは(現)苫前町に寳德惣四朗を筆頭者とする原戸籍(はらこせき)を請求しなければわからない。
●明治36年1月13日、長男、寳德寳四朗(祖父-明治8年2月1日)が、福井県丹生郡上岬(かみさき)村玉川第38号45番地に戸籍を定めている。
●祖父・寳四朗を戸主とする原戸籍をみると本籍地は、福井県敦賀郡敦賀町津内183号21番地となっている。
※敦賀町は、昭和12年4月1日に敦賀市となった。
「北前船」の交易商だった寳徳のご先祖は、福井県から北海道に移ったのだろう。「〇に十(島津家の家紋と同じ)の船」は、北海道(苫前)~敦賀(いずれも日本海沿岸)とたどるから、再び福井に移り住んだのではないかと思う。ひところ北海道の国鉄の駅に「幸福」があり、ブームになったことがあったが、「福」は福井県出身者が住んだところだ。
つづく
父から、孫に當てた手紙の續きを紹介します。
□宝徳 佳男から見た系譜
●曽祖父母(寳德 惣四朗・かの)は、北海道苫前郡苫前村第22番地に本籍を置いていたので、それ以前のことは(現)苫前町に寳德惣四朗を筆頭者とする原戸籍(はらこせき)を請求しなければわからない。
●明治36年1月13日、長男、寳德寳四朗(祖父-明治8年2月1日)が、福井県丹生郡上岬(かみさき)村玉川第38号45番地に戸籍を定めている。
●祖父・寳四朗を戸主とする原戸籍をみると本籍地は、福井県敦賀郡敦賀町津内183号21番地となっている。
※敦賀町は、昭和12年4月1日に敦賀市となった。
「北前船」の交易商だった寳徳のご先祖は、福井県から北海道に移ったのだろう。「〇に十(島津家の家紋と同じ)の船」は、北海道(苫前)~敦賀(いずれも日本海沿岸)とたどるから、再び福井に移り住んだのではないかと思う。ひところ北海道の国鉄の駅に「幸福」があり、ブームになったことがあったが、「福」は福井県出身者が住んだところだ。
つづく
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