以前、言志四録をこのブログ書いていた頃、朝がとても引き締まりました。最近、我が國の季節ごとの言葉を紹介する「一月の言葉」を書いています。やはり引き締まります。
母の法事の時に、和尚さんからこの和歌が描かれた繪をいただきました。まさに人間はさうですね。いつもいつも淨化する必要があります。言い換えれば生き方はそれだけでもいい。あとは、些事です。淨化さへしておけば自然と入ってきます。淨化し續けることを「德」といふのでせうか?
毎日とはいかないかもしれませんが、淨化の一環としてこのシリーズを書きます。
掃けば散り 拂へばまたも 散り積もる 庭の落ち葉も 己が心も
母の法事の時に、和尚さんからこの和歌が描かれた繪をいただきました。まさに人間はさうですね。いつもいつも淨化する必要があります。言い換えれば生き方はそれだけでもいい。あとは、些事です。淨化さへしておけば自然と入ってきます。淨化し續けることを「德」といふのでせうか?
毎日とはいかないかもしれませんが、淨化の一環としてこのシリーズを書きます。
四書五經の四書とは、「大學」「中庸」「論語」「孟子」です。五經は、「詩經」「書經」「易經」「禮記」「春秋」です。
五經からみれば、四書は、我々の感覺では測り知れないぐらい新しいものです。
支那の古典を學び出した時、ずっと思っていた疑問がありました。
「こんなに素晴らしい考へ方や書物を殘してきた支那が、なぜ今、あのやうな、マンガみたいな、または、殘酷な、または、人間の本能丸出しのくだらない國になつてゐるのだらうか」
答えは簡單です。嘘が上手なだけです。ただ、考へ方は素晴らしい。
支那人といふのは、自分たちが絶對にできない理想郷を積み上げてきました。ところが、その理想郷を實現してしまつた國があつたのです。それが、我が日本です。
ですから、支那の古典を信じてはいけません。
支那の古典を振り返りながら、我が國の素晴らしさを共に學びませう。
まずは易經から。
「聖人南面(なんめん)して天下を聽き、明に嚮(むか)ひて治(おさ)む」
私は五經の中でも易經が一番好きです。春秋や戰國策のように人間の策謀が主役ではなく、大宇宙の原理原則から人間を見つめてゐるからです。易經とは、64個の卦があり、その一つ一つに人間の生き方のドラマがあります。
今囘紹介するこの言葉は、64卦ある卦の中の「説卦傳」と云ふ名かにある言葉です。
明治と云ふ元號のもととなつた言葉です。
聖人が南に面して政治を聽けば、明るい方向に向かつて治まる。といふ意味です。なぜかって?う~ん、その質問がいかに愚問かは、このシリーズの中でおいおい解説していきませう。
五經からみれば、四書は、我々の感覺では測り知れないぐらい新しいものです。
支那の古典を學び出した時、ずっと思っていた疑問がありました。
「こんなに素晴らしい考へ方や書物を殘してきた支那が、なぜ今、あのやうな、マンガみたいな、または、殘酷な、または、人間の本能丸出しのくだらない國になつてゐるのだらうか」
答えは簡單です。嘘が上手なだけです。ただ、考へ方は素晴らしい。
支那人といふのは、自分たちが絶對にできない理想郷を積み上げてきました。ところが、その理想郷を實現してしまつた國があつたのです。それが、我が日本です。
ですから、支那の古典を信じてはいけません。
支那の古典を振り返りながら、我が國の素晴らしさを共に學びませう。
まずは易經から。
「聖人南面(なんめん)して天下を聽き、明に嚮(むか)ひて治(おさ)む」
私は五經の中でも易經が一番好きです。春秋や戰國策のように人間の策謀が主役ではなく、大宇宙の原理原則から人間を見つめてゐるからです。易經とは、64個の卦があり、その一つ一つに人間の生き方のドラマがあります。
今囘紹介するこの言葉は、64卦ある卦の中の「説卦傳」と云ふ名かにある言葉です。
明治と云ふ元號のもととなつた言葉です。
聖人が南に面して政治を聽けば、明るい方向に向かつて治まる。といふ意味です。なぜかって?う~ん、その質問がいかに愚問かは、このシリーズの中でおいおい解説していきませう。
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