四書五經の言葉(皇紀弐千六百七十六年一月二十三日 參)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 以前、言志四録をこのブログ書いていた頃、朝がとても引き締まりました。最近、我が國の季節ごとの言葉を紹介する「一月の言葉」を書いています。やはり引き締まります。

掃けば散り 拂へばまたも 散り積もる 庭の落ち葉も 己が心も

 母の法事の時に、和尚さんからこの和歌が描かれた繪をいただきました。まさに人間はさうですね。いつもいつも淨化する必要があります。言い換えれば生き方はそれだけでもいい。あとは、些事です。淨化さへしておけば自然と入ってきます。淨化し續けることを「德」といふのでせうか?

 毎日とはいかないかもしれませんが、淨化の一環としてこのシリーズを書きます。
 四書五經の四書とは、「大學」「中庸」「論語」「孟子」です。五經は、「詩經」「書經」「易經」「禮記」「春秋」です。

 五經からみれば、四書は、我々の感覺では測り知れないぐらい新しいものです。

 支那の古典を學び出した時、ずっと思っていた疑問がありました。

「こんなに素晴らしい考へ方や書物を殘してきた支那が、なぜ今、あのやうな、マンガみたいな、または、殘酷な、または、人間の本能丸出しのくだらない國になつてゐるのだらうか」

 答えは簡單です。嘘が上手なだけです。ただ、考へ方は素晴らしい。

 支那人といふのは、自分たちが絶對にできない理想郷を積み上げてきました。ところが、その理想郷を實現してしまつた國があつたのです。それが、我が日本です。

 ですから、支那の古典を信じてはいけません。

 支那の古典を振り返りながら、我が國の素晴らしさを共に學びませう。

 まずは易經から。

「聖人南面(なんめん)して天下を聽き、明に嚮(むか)ひて治(おさ)む」

 私は五經の中でも易經が一番好きです。春秋や戰國策のように人間の策謀が主役ではなく、大宇宙の原理原則から人間を見つめてゐるからです。易經とは、64個の卦があり、その一つ一つに人間の生き方のドラマがあります。

 今囘紹介するこの言葉は、64卦ある卦の中の「説卦傳」と云ふ名かにある言葉です。

 明治と云ふ元號のもととなつた言葉です。

 聖人が南に面して政治を聽けば、明るい方向に向かつて治まる。といふ意味です。なぜかって?う~ん、その質問がいかに愚問かは、このシリーズの中でおいおい解説していきませう。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6200

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2016年1月23日 08:00に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「一月の言葉 3(皇紀弐千六百七十六年一月二十三日 弐)」です。

次のブログ記事は「金融情勢を讀む 4(皇紀弐千六百七十六年一月二十五日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。