救いの神(皇紀弍千六百七十六年二月二十九日)

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 ブログがなかなか書けてゐないのは、もちろん朝の出発が早い日が續いたこともあります。でも、本當の理由はそうではありません。
 今の自分の生き方が氣にくわないからです。體調が整ったあと、體力がまだ囘復しないまま、自分の生活リズムを整える力が落ちてゐました。生き方の自信のなさが、ブログを書かないことや士魂商才を出さないことにつながつてゐます。

 昨日、息子が、久々に歸省しました。月曜日に關西方面に出張なので、それを利用して、週末から歸つてきました。

 夜、ガミさんが、風呂に入つたとき、寢ころでゐる私の傍にやつてきました。「父さん、今、何をしてゐるの?」「本を讀でるよ」「ふ~ん」。

 「どうした、何か話したいことがあるのか」と聴くと、まずは、これからの自分の夢を聞かせてくれました。その後、まだ何か言ひたさうでした。さりげなく聞くと、仕事に相對するときの心構えや生き方を知りたかつたようでした。

 そうです、仕事のスキルは、仕事をやつていれば、自然と身に着きます。

 それよりも、仕事に相對するときの自分の姿勢、生き方、生活習慣が大切です。つまり、土臺づくり、度量づくりです。

 それを彼に説明するときに、自分の今の生き方を猛省しました。すると次の瞬間、軆體中に、エネルギーが漲つてくるではありませんか。「よーーーし、もう一度やるぞ!」。生活習慣を元に戻します。ブログも書きます。士魂商才も復活させます。仕事にまた命を懸けます。
 
 彼と最後に話しました。「一緒に生き方を創ろうね。人生を創造しようね」と。

 彼が生まれたとき、この世にこんなに大切な存在があるのだろうかと腦が覺醒しました。事業に失敗して苦しい時、何の事情も知らない彼(當時10歳ぐらい?)でしたが、「父さんは、強いから大丈夫だよ」と言つてくれました。この一言がどれだけ私の勇氣を振り絞つてくれたかわかりません。

 心臓病の手術の時、ニコッと笑つて、手術室に見送ってくれました。「ああ、〇〇が生まれてから、何度この笑顔に助けられたことだろう。だから、今囘もきつと救われる」と思いました。

 そして今囘。彼は、いつも私の救いの神です。感謝合掌

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このページは、宝徳 健が2016年2月28日 07:07に書いたブログ記事です。

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