フランス革命と保守(皇紀弍千六百七十六年二月二十九日)

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 「フランス大革命に抗して シャトーブリアンとロマン主義」という、保守必讀の書を參考に書いてゐます。學校で習う授業は、都合の良いところばかり抜粋して、本當に大切な所を書きません。左翼の常套手段ですね。つまり、左翼には反省も檢證もない。

 「紫禁城の黄昏」といふ名著があります。清朝最後の皇帝 溥儀(ふぎ)の家庭敎師だつたジョンストンといふ人が書いています。これはかつて岩波書店から発賣されてゐました。でも、そのときには、左翼に都合が惡い箇所が削除されてゐました。

 今は、祥伝社といふところから出されてゐます。學校図書で、岩波書店を推奨することが多いのですが、子供には讀ませない方がいい。危險です。

 左翼はかういふことをするのです。

 さて、振り返ります。
 フランス大革命によつて、王族、僧族、貴族といふ特權階級が没落し、1792年8月までの三年間は、立憲王政派の上層ブルジュワジーが、議會の主導權を握りました。しかし、その三年間、共和派の革命家たちは、自由と平等とを謳う民主主義の原理を唱え、やがて共和制を布きます。

 繰り返しますが、フランス大革命のスタートは、經濟問題でしかなかつたのです。民主主義の原理などということで武器を取つたのではありません。飢餓が暴力を生み出しました。

 我が國でも、池田首相が、所得倍増計画を唱え、經濟が安定したとき、左翼活動は激減しました。つまり、經濟とはそれだけ大切だといふことです。

 革命とはえてして、勢いで起こつてしまひます。革命家や左翼は、これを利用します。私達臣民は、これに十分注意する必要があります。最近の研究で、ニ・ニ六事件でさえ、モスクワコミンテルンの仕業であったことが明らかになりつつあります。

 さて、この共和制の狂氣が、ルイ十六世惨殺といふ、今でもフランス人が死ぬほど後悔している事件へと發展します。その經緯を次囘からみていきます。 つづく

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このページは、宝徳 健が2016年2月28日 07:51に書いたブログ記事です。

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