四書五經の言葉(皇紀弍千六百七十六年二月二十九日 四)

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 今はやつてゐないやうですが、かつての出光興産には、「店主室敎育」なるものがありました。

 出光には、昭和三十三年入社組といふ世間でいふところの優秀な人材が綺羅星のごとく集まつた入社年次がありました。


 その人たちが、出光佐三店主と懇談をしたとき、「組織はこういう風にした方がいい」「マーケティングはこうあるべきだ」などの、スキルや手法論ばかり述べました。

 佐三店主は、激怒しました。「お前らは出光の癌だ」と。

 私も今でこそわかりますが、會社を、維持發展させていくときに、もちろんスキルは大切ですが、それだけではだめだといふことは、今の、大企業をみていれば明らかです。出光理念こそ、人類普遍の心理であり、そして、それは我が國の歴史そのものなのです。

 敗戰前、日本石油にいじめられた出光商會は、市場を海外に求めました。我が國で調達した資金をすべて海外に投下しました。そして敗戰です。海外の資産はすべて失ひました。莫大な借金だけが殘りました。役員は、復員してくる社員は辞めさせるべきだと云ひました。佐三店主は云ひました。

 「我が社の最大の資産である人をなぜ切るのか」と。そして、三つの事を云ひました。

1.我が國三千年の歴史を見直せ
2.愚痴を云ふな
3.今から建設に取り掛かれ

 我が國が敗戰で打ちひしがれているときです。これが明治人の氣骨です。私たちが受けてゐない、敎育です。

 佐三店主は常に仰ってゐまう。「立派な日本人になればいいんだ」と。

 昭和三十三年入社組はそのことがわかつてゐなかつたのですね。

 そして、その癌を取り除くために始まつたのが、「店主室敎育」です。

 仕事バリバリの十年目ぐらいの社員を志事から四十日間引き離し、ひたすら日本人敎育をしまう。仕事の話をすると「些事を云ふな」としかられます。

 その店主室敎育で、輪讀の仕方を習ひました。「心を虚しふして讀め」と。でないと、素直に心に入つてこないのです。

 支那最古の古典 易經に「虚にして人を受く」があります。

 偏見なく、虚心坦懐であれば人の話がよく耳に入る、といふ意味です。人の言葉はわだかまりなく、素直に受け止めたいものですね。

 易經を占いの本だと思つてゐるひとがたくさんゐます。そうではありません。生きるといふことを大宇宙の原則に從つて体系化してゐるのは、易經だけなのです。私は四書五經のなかで、易經が一番好きです。

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このページは、宝徳 健が2016年2月29日 07:10に書いたブログ記事です。

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