三月の言葉(ことのは)(皇紀弐千六百七十六年三月三日 弐)

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 昨日、姪にも、ドクター・イエローの写真を送りました。東京でひとりで生活してゐます。えらいな~。

 甥や姪が生まれた時、なんとも云へない可愛さを感じました。小さいときは、「おじちゃん、おじちゃん」と云つてなついてくれました。私は子供が大好きなので、一緒にゐるときは、ずーーーつと遊んでゐました。姉からは「あんた、ほんとに子供が好きやね。そげんずつと遊んであきんね」と云はれました。

 今でも、かわいい。兄弟と自分の子供の間ぐらいの感覺でせうか。

 そのやりとりのなかで、姉(姪の母)の料理がおいしいといふ話になりました。
 その姉の見舞いに先月、博多に行きました。

 確かにそうなんです。今回は、朝ごはんしか御馳走になりませんでしたが、おいしいのなんの。それと、母と同じ味を創るので、私にはたまりません。父が九州に行つたら、必ず姉の家に泊まる理由がわかります。手の込んだ料理ではなく、ちゃちゃっと、作ります。そのちゃちゃ、の料理の味が絶品です。ごはんが何杯でもいけます。

 年を取つてくると、家族や親族のつながりがとても大切になります。

 さて、三月の言葉。まずは「木の芽冷え(このめびえ)」です。

 木々が新芽を出す時期です。この時期を「木の芽時(このめどき)」と云ひます。やうやく暖かくなり始める時期ですが、雪が降つたり、冷たい雨が降つたり、急に冷え込んだりします。

 それが「木の芽冷え」です。天氣に應じて「木の芽晴(このめばれ)」「木の芽雨」などの表現もあります。木の芽を通して、天氣を感じる時期です。我が日本語は素敵ですね。この文章を書いてゐても、心がホッとします。

 この時期に手紙を書くときに「木の芽冷えの毎日ですが、もう少しで温かくなりますね」「木の芽雨が、萌え出たばかりの新芽にやさしく降り注いでゐます」なんて書くと素敵ですね~。

敷島の 大和の國の 言の葉は 人の心を 幸きあふ(さきあふ)心に

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このページは、宝徳 健が2016年3月 3日 06:46に書いたブログ記事です。

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