諦める②(皇紀弍千六百七十六年四月十三日)

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 今日は集諦(じつたい)です。
 集諦とは、人生の苦しみ(苦諦)の原因に關する眞理のことです。

 法句經に「貪欲と嫌味とは自身から生ずる。好きと嫌い身の毛のよだつことは自軀から生ずる。諸々の妄想は自分から生じて心を放つ」とあります。

 人間は、自分の不幸や苦しみを社會や他人の責任にすることがあります。しかし、苦しみの原因を作つてゐるのは、自分自軀にほかなりません。

 

 樣々な煩腦や執着が渇愛(喉が渇いて水を求めるやうな激しい貪(むさぼ)りの心)となつて苦しみの原因をつくつてゐます。それを集諦といいます。

 求めれば求めるほど苦しみの原因が生まれます。自分を大きく見せやうとすればするほど、自ら苦しむ原因を作ります。人間とは、悲しい生き物ですね。

 これらを明らかにして、自分にひとつの區切りをつけることも「諦める」ことなのです。

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このページは、宝徳 健が2016年4月13日 09:58に書いたブログ記事です。

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