諦める③(皇紀弍千六百七十六年四月十四日)

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 四諦の三番目「滅諦(めつたい)」です。

 滅諦とは、苦の滅した状態。すなわち涅槃(覚り)の境地

釈尊はあらゆる苦脳や束縛から離れた状態を滅諦としてとらえています。


 苦集滅道(くしゅうめつどう)が四諦で、それにより眞理を明らかにすることが諦めるといふものの本當の意味です。明日は、最後の道諦です。


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このページは、宝徳 健が2016年4月14日 06:04に書いたブログ記事です。

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