フランス革命と保守(皇紀弍千六百七十六年四月二十二日 弍)

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 繰り返し書いてゐますが、保守とは、

國體を破壊する狂氣に対抗する力

です。敗戰前は、小學生でも知つてゐた我が國國體を、今は知らない人が多いので、保守と名乘つても似非ばかりです。

 それはいいとして、これが保守の定義なら、フランス革命は一體なんだつたのか。王樣バンザイで始まり、そして、その王樣をギロチンにかける狂氣。それを美化する人々。騙される日本人・・・。
 
 1789年8月8日 フランスは封建制度廢止を憲法制定國民会議で決議しました。その後も、次々と革命決議をしますが、税制は惡化するばかりでした。革命下、フランス国民は、革命以前より更に激しい飢餓感に惱むことになりました。
 バスティーユ牢獄襲撃は、飢餓感に惱んでゐたパリ市民を本の一突きするだけで起させたものでした。1789年10月6日に起きたベルサイユ宮殿亂入事件は、飢餓感という起爆剤を巧みに利用した革命です。

 前日の10月5日午前6時、パリのサン-トゥスタッシュ街で、一人の女性が、非常呼集の太鼓を打ち鳴らしながら呼びかけた「ベルサイユへ!」「私たちにパンを!」と。この女性を陰で操つてゐたのは、なんと、オルレアン公なのです。ルイ16世を退位させ、自らが國王に即位することを願つてゐた人物です。

 あの愚かなる漫画 ベルサイユのばらを讀んだことのある人なら知つてゐますね。ルイ16世は暗愚でオルレアン公は聡明のやうに書かれてゐます。

 そのオルレアン公に操られた女性煽動家の呼びかけに女性たちは應じました。たちまし7,000もの女性がベルサイユ宮殿に向つて行進することになりました。 つづく

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このページは、宝徳 健が2016年4月22日 23:33に書いたブログ記事です。

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