時々、寺で柏でを打つ人がゐますが、びつくりしますね(笑)。あと、神社での御手水の時、柄杓を口につける人がいます。飲む人も。うがいする人も。禮儀作法はきちんと覺へたいものですね。
御手水は、まず、右手に柄杓をとり、左手、右手、左手の順に水をかけます。最後の左手の時、少し水を左手に殘して輕く口につけます。そして、柄杓を縦にして柄杓に殘つた水で柄の部分を洗ふやうにします。決して柄杓を口につけてはいけません。
おつと、本題に。佛敎用語で普段なにげなく使はれてゐる言葉を紹介してゐます。
今日は「愛嬌(あいきょう)」です。
御手水は、まず、右手に柄杓をとり、左手、右手、左手の順に水をかけます。最後の左手の時、少し水を左手に殘して輕く口につけます。そして、柄杓を縦にして柄杓に殘つた水で柄の部分を洗ふやうにします。決して柄杓を口につけてはいけません。
おつと、本題に。佛敎用語で普段なにげなく使はれてゐる言葉を紹介してゐます。
今日は「愛嬌(あいきょう)」です。
柏手を打つのではなく、お寺にお參りして、佛さまと手をあはせて向ひあうと、自然と心が落ち着きます。あれ、不思議ですよね。
この佛さまの優しく柔和な慈愛にあふれたお姿を「愛し敬うお姿」として「愛敬相(あいぎょうそう)」と云ひます。「あいきょう」はこのことばから生れました。
「敬」が「嬌」に置き換えられてゐますが。嬌は美しいといふ意味があります。
外觀や性格が可愛らしく、魅力的なことを意味する言葉ですが、いつでもニコニコしてゐる人は素敵ですものね。
この佛さまの優しく柔和な慈愛にあふれたお姿を「愛し敬うお姿」として「愛敬相(あいぎょうそう)」と云ひます。「あいきょう」はこのことばから生れました。
「敬」が「嬌」に置き換えられてゐますが。嬌は美しいといふ意味があります。
外觀や性格が可愛らしく、魅力的なことを意味する言葉ですが、いつでもニコニコしてゐる人は素敵ですものね。
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