世界史と古事記(皇紀弍千六百七十六年五月一日 弍)

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 先日も書きましたが、大陸を支配した匈奴などは、我が國に食指を伸ばします。戰ひに慣れてゐなかつた我が國は、一旦、引きます。それが恐らく、宮崎の高千穂峡だつたのでせう。

 武器を大國主命に私、我が國を統治させますが、それは、しょせん、「ウシハク」の支配形態でした。それは我が國の天皇が統治した形態とはまつたく違ひます。國譲りが始まります。

 私は、昔、國譲りなんてひどいなあ。と思っていました。大國主命が懸命に政治を行つてゐるのに、なんてことをするんだと。でも、結局國體を知らないからさう思つてしまひました。

 歴史認識が間違つてゐる手塚治虫は、これを朝鮮半島から來た勢力が我が國を征服し天皇家になつたと漫画「火の鳥」に書きます。嘘です。

 大陸の勢力が天皇家であつた證處など、何一つありません。歴史學からみても、考古學からみても。

 茨城県鹿島神宮に祀られている、建御雷之男大神(たけみかづちのおおかみ)が、大國主命に國譲りを迫ります。つづく

(参考:鹿島神宮)


 この神社には何度も足を運びました。なんとも云へない雰圍氣を醸し出してゐます。

 

 御手洗の池です。この池は、どんな身長であつても、入れば必ず胸の深さだと云はれてゐます。


 浜茶屋やましょうの焼きはまぐり(食べログより、以下、同樣)

 竹やぶのてんせいろ

 四季亭の定食。


 鈴章 なまず料理。

 あ~、喰いてえ~。腹減つた。

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このページは、宝徳 健が2016年5月 1日 16:33に書いたブログ記事です。

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