田沼意次(皇紀弍千六百七十六年五月二日 弍)

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 私たちは、中學・髙校と、「江戸時代は暗い時代で、エタ、ヒニンなどの人間差別もあり、五人組の監視機構にしばられて人々には自由がなかつたと習ひました。

 なのに、元禄文化が花開いて、庶民の間に今の年間行事が広がつたとも。

 これつて矛盾してゐますよね???
 敗戰前の我が國がファシズムだつたとも習ひます。???

 ファシズムとは、國家の上に、政黨や宗敎があることです。敗戰前の我が國には、國の上に政黨も宗敎もありませでした。憲法は停止され、選擧も實施されました。ドイツのやうに憲法を停止してナチスに全權を集中させること等してゐません。

 戰筝が起きるのはなぜか。もちろん他國の脅威もあります。でも、民が認めない戰爭など出来るわけがないですし、たとへやつたとしても、闘ふ意慾がない民を抱へてなど戰爭継続は出來ません。

 經濟の失敗から起きるのです。敗戰前は、金本位制が金科玉条のやうにいはれてゐました。金本位制とは、金の量をベースにするので、經濟が發展すると金が不足し、必ずデフレ經濟となります。けれども、通貨を持つ人間にとつて金本位制を否定することが出來ませんでした。かうなると、批判することが出來ない世の中になつてしまひます。

 ところが、敗戰前のリーダーは、この金本位制を推し進め、世の中をデフレ經濟に陥れました。城山三郎は、そんなリーダーたちを「男子の本懐」といふ本で偶像化します。城山三郎と吉村昭は、「こいつとんでもないやつだ」といふ人間を、「よくもまあこんなに美化できるなあ」といふレベルにまで髙めた小説を書きます。この二人の著作は讀んではいけません。廣田弘毅のことを書いた本などもさうです。

 とにかく、司馬遼太郎、山崎豊子、白山三郎、吉村昭は、その筆が強いので讀むと騙されてしまひます。メディアも絶賛しますが、眞實を知してしまつた後は、その危險性に身震いがします。

 阿川弘之も米内光正を「うっそだらう」といふレベルにまで髙めて書いてゐます。まるで米内光正が素晴らしいリーダーだつたと。天國にゐる本人でさへ、この本を讀んだら苦笑するのではないでせうか。

 さて、江戸時代のリーダーで經濟がわかつたゐたのはごく少人数です。江戸時幕府が崩壊したのは、ペリーが來航したからではありません。經濟が崩壊したからです。でも、それでも、明治維新を成功させるだけの國家經濟基盤があつた強い國だつたのです。

 私たちが習つた江戸時代は、すべてとは云ひませんが、ほとんどが嘘です。そうしなければならない歴史學會の事情のみで私たちは、嘘を學ばされてゐます。

 江戸幕府を潰したのは、德川家斉であり、松平定信であり、水野忠邦です。あと、新井白石もさふですね。


 田沼意次亜は、地政學も経済政策もわかつてゐました。なぜ、この人が、惡者扱いされるかが私には皆目見當もつきません。田沼時代が續き、そして、家斉が将軍になつてゐなかつたら、わが國が、産業革命を獨自に成功させていた可能性が髙いのです。

 經濟オンチは政治ができませんし、經濟オンチな臣民は國をダメにします。歴史を振り返りながら、経済の重要性を書いていきたいと思ひます。

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このページは、宝徳 健が2016年5月 2日 07:12に書いたブログ記事です。

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