フランス革命と保守(皇紀弐千六百七十六年五月六日)

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 フランス革命のことを知れば知るほど、背筋が寒くなります。かつて、カトリック敎會主義のことを調べた時もさうでした。「眞實の歴史を知つてゐる、それだけで殺す十分な理由になる」といふ歐米支那の言葉は本當なのですね。日本人に生まれてよかつた。

 前囘は、女性たちがルイ十六世にパンを要求しに行つたところまででした。女性たちは一夜を明かします。ベルサイユ宮殿の外で。
 1789年10月6日午前5時4分、ベルサイユで夜を明かした女性たちが宮殿に亂入して、近衛兵を虐殺し始めました。
 
 これは史實なのですが、書いていて、心の底から信じることができません。普通の日本人ならさうですよね。

 王妃マリー・アントワネットは、護衛に當たる近衛兵の控えの間が斧で壊され、泣きながらルイ十六世のところまで走つていきました。女たちは叫びます。「國王、露台へ」。

 ルイ十六世が露台に進み出ると、拍手喝さいが起こり、次いで「國歐、パリへ」といふ要求が起こりました。ルイ十六世、アントワネット、子供たち三人を乗せた馬車は、ベルサイユ宮殿を離れパリのテュイルリー宮殿に向かひました。流血の事態を収拾するために、ルイ十六世は女たちの要求を受け入れました。女性たちはただ單に、パリで自分たちを生活を共にしてほしかつただけです。でも、結果的には、ルイ十六世はパリで革命派の嚴重な監視下におかれます。

 シャトーブリアンは、國王一家の乘つた馬車をパリのシャンゼリゼ通りで見ました。宮殿に亂入した際に虐殺した近衛兵の首を槍先に掲げた男性が馬車を先導し、女性たちが馬車の両側で歡声をあげてゐました。シャトーブリアンの心は、ここで完全に共和制から離れてしまつたのです。

 バスティーユ牢獄襲撃事件が男性の革命なら、ベルサイユ宮殿亂入事件は女性の革命です。

 お讀みいただいてわかると思ひますが、こんなものがみんなが美化するフランス革命なのです。そのどこにも國體を守るといふ保守は存在しません。

 では、なんで、嘘を教えるのか。共産主義の唯物史觀がこの世の中に入り込んでゐるからです。「これこれこれは、こうでなくてはならない」といふ夜にも恐ろしい設計主義が、その考へ方以外のものは、すべて惡となす世の中になつてゐるからです。

 私たちは、我が國で、こんな恐ろしい世界が起きないやうに、しつかりと「賢い臣民」になる必要があります。そのために必要なことは、「誰が正しいか」といふ唯物史觀や設計主義ではなく、「何が正しいか」といふ使命を學ぶ事が大切なのです。

 企業經營でも一緒です。經營者が全力で排除しなければならないのは、力があるからと云つて、「誰が正しいか」といふ設計主義を構築しやうといふ考へ方です。理念を破壊する行爲に對抗できるのは、經營者だけです。

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このページは、宝徳 健が2016年5月 6日 07:52に書いたブログ記事です。

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