方便(皇紀弍千六百七十六年五月七日)

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 佛敎用語で、普段何氣に使つてゐる言葉を紹介してゐます。

 アウフヘーベン(止揚)と云ふ言葉があります。リーダーにとつて無くてはならない技量です。よく、部下と同じレベルで問題を云ひあふリーダーを見かけます。これでは、部下は云ふことは聞きません。だつて自分と同じレベルの人の云ふことなんて聞きませんよね。

 部下よりも一段髙いレベルで、部下が持つてゐることを解決することをアウフヘーベンと云ひます。

 さて、今日の言葉は「方便」です。
 「方便」はサンスクリット語のウパーヤの訳で、近づく、到達する、巧みなてだて、便宜的な手段や方法という意味をもちます。釈尊が衆生をさとりへと導くためのてだてとして説かれた敎えの意味で、眞實に裏づけられた、仏の衆生教化の方法・はたらきをいひます。つまり、人々が佛の道をわかりやすいやうにたとえ話をしたことになります。まさにアウフヘーベンですね。

 人間ひとりひとりの機根、すなわち性質や能力は、けっして一様ではありません。人それぞれの機根にしたがつて、敎え導く佛のすぐれた智を、方便智といい、その はたらきを善巧(ぜんぎょう)方便といひます。

 佛敎では、方便は虚言ではなく、あらゆる人をさとりへと導くすぐれた敎化の方法であり、佛のもつとも具体的なは たらきです。あらゆる手段をめぐらして、人びとを眞實の佛道に引き入れることを、方便引入といい、また眞實の道に導入するために設けられた敎へを、方便 假門といひます。

 方便にはさらに、すべての形や相を超えた究極的な眞理であるダルマ(法)が、人びとを救ふために自ら形相をとって、はたらきでるすがたを意味する場合があります。親鸞は『一念多念文意』で、

「方便ともうすは、かたちをあらわし、御(み)な(名)をしめして衆生にしらしめたまうをもうすなり。すなわち阿彌陀佛なり。この如來は光明なり。光明は智慧なり。智慧はひかりのかたちなり」
といっています。

 方便は、眞實に對する假を意味するのみでなく、眞實そのもののはたらきなんですね。方便とは良い言葉です。

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このページは、宝徳 健が2016年5月 7日 11:07に書いたブログ記事です。

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