なぜ嘘の歴史が(皇紀弍千六百七十六年五月八日 參)

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 私たちは、江戸時代は暗い時代と習ひました。眞つ赤な嘘です。農民が虐げられていたとも。なのに、人口が増えたとも習ひました。おかしいですよね。年貢がきつく、虐げられたなら、人口など増えるはずがありません。

 江戸末期に日本にやつてきた、イギリス人女性 イザベラ・バードは、「妖精のやうな國だ」「農民がふくよかで笑つてゐる」と著書に書いてゐます。
 事實、江戸初期の耕地面積を1とすると、享保期には、3まで拡大してゐました。民間經濟の發達により、物流などのインフラも整つてゐましたから、庶民の生産性は飛躍的に向上しました。特に明暦の大火以降、江戸の町は、政治の都から商都に生まれ變はりましたから、なおさらです。

 耕地面積の擴大により、農民の實質的な年貢負担は輕減されました。コメなどの主食生産に餘裕が出て来ると、主食以外の商品作物を作るやうになりました。それらを賣却し、お金もたんまり入つて來ました。

 さて、ここからが問題です。生産性が向上しても、德川幕府には全國的な徴税權がありません。金本位、米本位なので、貨幣供給量に制限があります。つまり、金融政策が取れないことを意味します。

 これも歴史敎科書では、惡とされてゐますが、綱吉の時代に荻原重秀といふ、勘定奉行が、貨幣の改鋳をしました。大判、小判の金の量を減らしたのです。これの何が問題なのでせうか???

 金融政策で貨幣量を増やしたため、幕府財政は、大幅に改善されました。

 ところが、綱吉の死後、新井白石が實權を握ります。そして、前の日銀総裁の白川のやうに、デフレ政策をやつて、幕府財政を惡化させました。せつかくの人々の生産性を殺してしまつたのです。

 金融政策とは、かほどに大切なのです。經濟の掟には、どの時代も誰も逆らふことは出来ないのです。なのに、政治家や著名が學者で、金融政策を認めない人がたくさんゐます。掟にさからつてだうしやうと云ふのでせうか。官僚なんかその際たるものです。

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このページは、宝徳 健が2016年5月 8日 10:19に書いたブログ記事です。

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