大企業の情けなさが續いてゐます。シャープ、東芝、三菱自動車・・・・。かつて、我が日本の企業では、起こり得なかつた不祥事が次々と。トップに理念がないのですね。出世慾にかられて。
「出世」。これも實は佛敎用語なのです。
「出世」。これも實は佛敎用語なのです。
浄土眞宗のお經 「正信偈」に「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」あります。意味は、「釈尊がこの世に出られたのは、ただ阿彌陀佛の本願の敎へを説くためでありました」という意味です。
これは、「出世本懐」(しゅっせほんがい)ともいい、釈尊がこの世に生まれ出でられた眞の目的を示しています。
すなわち、佛敎で言ふ本来の「出世」の意味は、「佛さまが私達を救ふために、假に人間の姿となって、この世に生まれ出られること」をいふのです。
また、佛敎には「出世間」という言葉もあります。
これは、私達人間が世俗のことを捨てて、佛敎の修業者になることで、「出家」と同じ意味です。
それでは、なぜこのような崇髙な意味を持つ言葉が、俗世間ぽい言葉として使われるようになったのでせうか。
それは、昔の日本における公卿の子息は、学問を身につけ、人格を形成するために出家(出世)することが多く、彼らは普通の人達よりも早く昇進したために、「出世」という言葉が、「昇進する」「世間に認められる」という意味に使われるようになったのだと言はれています。
その意味からも、「出世」するとは、髙い地位を目指し、有名になることを目的とするよりも、まずは自分自身の足元も見て、必要な知識を身につけ、人格を陶冶することが大切なのではないでせうか。
大企業のトップこそ知るべき言葉です。
これは、「出世本懐」(しゅっせほんがい)ともいい、釈尊がこの世に生まれ出でられた眞の目的を示しています。
すなわち、佛敎で言ふ本来の「出世」の意味は、「佛さまが私達を救ふために、假に人間の姿となって、この世に生まれ出られること」をいふのです。
また、佛敎には「出世間」という言葉もあります。
これは、私達人間が世俗のことを捨てて、佛敎の修業者になることで、「出家」と同じ意味です。
それでは、なぜこのような崇髙な意味を持つ言葉が、俗世間ぽい言葉として使われるようになったのでせうか。
それは、昔の日本における公卿の子息は、学問を身につけ、人格を形成するために出家(出世)することが多く、彼らは普通の人達よりも早く昇進したために、「出世」という言葉が、「昇進する」「世間に認められる」という意味に使われるようになったのだと言はれています。
その意味からも、「出世」するとは、髙い地位を目指し、有名になることを目的とするよりも、まずは自分自身の足元も見て、必要な知識を身につけ、人格を陶冶することが大切なのではないでせうか。
大企業のトップこそ知るべき言葉です。
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