十七条憲法(皇紀弍千六百七十六年五月十四日 弍)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 ずつと、書こうと思つてゐました。ずつと、ずつと・・・。聖德太子の十七条憲法・・・・。

 やうやく書けます。十七条憲法と敎育勅語は、私達日本人の魂です。

 では、まず、第一条を何回かに分けて解説します。企業の組織づくりのベースになる考へ方です。
 一に曰(いは)く、和を以て貴(とうと)しとし、忤(らから)ふことなきを宗(むね)とせよ。人みな黨(党:たむら)あり。また達(さと)せる者少なし。ここを以てあるいは君父(くんぷ)に順(したが)はず。また隣里に違(たが)ふ。しかれども、上(かみ)和(やはら)ぎ、下(しも)睦(むつ)びて、事を、論(あげつら)ふに諧(かな)ふときは、事理(じり)おのずから通ず。何事か成さざらん。

「おたがいの心が和らいで、力を添へ合ふことが尊いのであつて、むやみに反抗することのないやうにせよ。それが根本的態度でんければならぬ。ところが人にはそれぞれ黨派心があり、大局を見通してゐる者は少ない。だから主君や父に從はず、あるいわ、近隣の人々と爭ひを起こすやうになる。しかしながら、人々が上も下も和らいぎ睦まじく話し合ひができるならば、ことがらは自ずから道理にかなひ、何事も成し遂げられないことはない」

 我が國は、一致団團結の國でした。鍛え上げた己の力を自分以外のものに使ひ合ふことができれば、すさまじい力が發揮できることを、私たちの先輩方はご存知でした。

 日敎組や朝日新聞等の左翼メディアによる敗戰後の不埒な敎育により、その美徳をすつかりと忘れてしまひました。

 日本を破壊する、憲法といふ名ばかりの文章 邪敎 日本國憲法により、家族主義は破壊され、權利・義務發想が生まれ、そして、こんな國になつてしまひました。

 かててくはへて、ITなどが出現するものですから、手法論やシステム論が後生大事にされ、本當に大切なものを見失ふ世の中になりました。

 今上天皇陛下が何代かも、今が皇紀何年かも、シラスといふ國體さへ知らない、國籍だけの日本人が増えていきました。そして、彼らは云ひます。「今は、それが普通だ」と。

 異常なマジョリティが普通と云はれる、危險な國になりました。

 さあ、一緒に學びませう。本當の我が國を。つづく。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6316

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2016年5月14日 03:47に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「フランス革命と保守(皇紀弍千六百七十六年五月十四日)」です。

次のブログ記事は「不思議(皇紀弐千六百七十六年五月十九日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。