十七条憲法(皇紀弐千六百七十六年五月三十一日 四)

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 ひとつ前のブログで述べたやうに、仕事のリズムを變へ、そして、仕事のやり方も變へて行くので、自分の生活のリズムが整つて來ました。かててくはへて、斷酒中(笑)。ずつと斷酒をするつもりはありませんが、これはいい。軆體の調子もよいし時間が取れる。

 さてさて、昨日は第二条でした。三寳とは、人が守るべき「法」であり「道理」を言葉で示してくれる道德的指南書です。

 新渡戸稲造が渡歐したときに、「日本は宗敎がないのに、なぜ、道德が保てるのか」と外國人から質問されて困つたさうです(結果的に武士道があつたから道德が保ててゐる)。

 逆に今は、かう質問されるかも。「日本はかつてあんなに道德心があつたのに、なぜ今、ここまで退化したのか」と。憲法と云ふなの文章でしかない 邪敎 日本國憲法と、敗戰後の左翼敎育で、國がめちゃくちゃになつてしまひました。今我が國に必要なのは、まさに「ルネッサンス(再生)」ですね。
 第三条に入りませう。

 三に曰はく、詔(みことのり)を承りてはかならず謹め。君をば天とす。臣をば地とす。天は覆い、地は載す。四時(しいじ)從ひ行ひて、萬氣通ふことを得(う)。地、天を覆はんとするときは、壊(やぶ)るることを致さん。ここをもつて、君言(のたま)ふ時は臣承る。上(かみ)行ふときは下(しも)靡(なび)く。ゆえに詔を承りては必ず謹め。謹めばおのずから敗(やぶ)れん。

 意味は、次囘ね。

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このページは、宝徳 健が2016年5月31日 02:22に書いたブログ記事です。

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