2016年6月アーカイブ

 すみません。三日間、ブログが書けないかもしれません。いつも持ち運んでゐるパソコンの損傷が激しく、これ以上持ち運ぶのは心が痛みます。息子の家にも行くので、もしかしたら息子のパソコンを借りて書くかもしれませんが・・・・。今、各意欲が湧いてきてゐます。これなら士魂商才も復活できさうです。

 あっ、さうだ。體重が、76kg台になつてきました。半年遅いですが。冬までに72kgにします。もて期になるかも~(笑)。

 おっと、餘計なことばかり・・・。

 十七条憲法を改めてかうして書いてゐると、なんとまあ、素晴らしい内容であることを再認識できます
日本人として、これさへ守つて置けばよいといふことばかり。まさにネガティブリストですね。
 若い頃、キョンキョンが大好きでした。彼女は良い年の取り方をしてゐますね~。今も魅力的です。今も、もちろんファンです。言葉の使ひ方もきれいだし。

 キョンキョンの歌に「ヤマトナデシコ七変化」がありました。

♪純情・愛情・過剰に異常
純情・愛情・過剰に異常
ヤマトナデシコ七変化 素顔の方がウソつきネ
ヤマトナデシコ七変化 絵になるネきわめつけ
純情・愛情・過剰に異常 どっちもこっちも輝け乙女

しとやかなふりしていても
乱れ飛ぶ恋心 A ha
内緒あなたの腕の中
ごめんだれかと比べちゃう
ヤマトナデシコ七変化
からくりの早変わり
純情・愛情・過剰に異常
あっちもこっちも恋せよ乙女

どことなく浮気なとこが
あなたにも魅力でしょ A ha
恋の振り袖いなせだネ
ひと筋縄じゃいかないヨ
ヤマトナデシコ七変化
きれいだネ見事だネ

まわり道最初の人に
帰る日もあるでしょう A ha
ヤマトナデシコ七変化
ちょっとあなたにできごころ
ヤマトナデシコ七変化
ときめきの早変わり
純情・愛情・過剰に異常
あっちもこっちも恋せよ乙女
純情・愛情・過剰に異常
どっちもこっちも輝け乙女♪
 一昨日書いた「世にも不幸な物語」のタイトルを「負けるが勝ち」に變へました。

 さあ、みなさんの答えは?
 三十歳から大量の讀書に挑戰してきました。學生時代も讀書は好きでしたが、量が違ひます。良書に出逢ひ、古典に出逢ひ、支那の古代 古典にも出逢ひました。四書五經も讀みました。

 「へーーーー、古代支那人つて、こんなに素晴らしかつたんだ」と感じたこともありました。それが、ただの理想論を語つただけで、支那では、一切實現されなかつたことを知るまで・・・。
 
 歴史も歪曲されてゐます。まだ、我が國は、よいはうです。眞實を語らうとする人がたくさんゐますから。大量に本を讀むとある時期から、事実、眞實、眞理に触れるやうになります。

 焚書坑儒もさうです。秦の始皇帝が儒學の本を焼き捨て、儒者を大量に埋めたなんてことになつてゐますが、これは嘘です。
 光源氏が紀伊守(きいのかみ)の家で、麗しい少年と出逢つたところまででした。

光「この子は?」
紀「知り合いの末の子です。早くに父を失ひ、姉が私の父の後妻に入つたものですから、かうして私のところへ來たりしてゐるのです」
光「では、この子の姉が、貴方の義母になるのですか」
紀「さうです」

 さう、此の子の姉が、第三帖のヒロイン、空蟬なのです。
 出光家が、出光興産と昭和シェルの合併に反對しました。株主総會で。出光家は34%弱の株式を保有してゐますので、出光家が反對すると、特別決議が必要な合併は否定されてしまひます。今囘、株主総會で取締役の再任に反對しました。それが合併反對の意思表示らしいのですが。取締役の選任は普通決議なので否決されますが・・・。

 確かに、出光の理念からすると、上場や合併はあり得ないでせう。私が役員だつたら、絶對に反對します。でも、それはもつとずつと前の段階の話しです。ここにきてそれはないでせう。出光家は、筆頭株主としての責任が果たせてゐません。

 さあ、これは困つてゐるでせうね~。社長も副社長も。どうなることやら。

 それはさておき今日のブログを開始します。學生の頃、エドワード・デボノの「水平思考」といふ講談社から出てゐる本を讀んだことのある人はたくさんゐるのではないでせうか?では、有名なこのクイズを知つてゐる人も・・・。
 佛を守る須彌山(しゅみせん)に帝釈天たちがゐます。多くの天が住んでゐます。

 あのフーテンのとらさんに出てくる柴又帝釈天はこの帝釈天が祀られてゐます。

 須彌山には、阿修羅も住んでゐました。彼には、それはそれは美しい娘がゐました。
 我が國季節の美しい言葉を紹介してゐます。言霊が宿つた、我が国の美しい言葉に触れてゐると、喜怒哀楽の感情に流されてゐる自分が恥ずかしくなります。

 今日は、「砌」です。「みぎり」と讀みます。
 第一条:和→第二条:原理原則→第三条:ミッション→第四条:禮(礼)でした。そして、この第五条では、そうであるならば、「役人は私利私欲に走つてはいけない」。それが、我が國の在り方「自然道」であり、そして、國體シラスなんだと敎へてゐます。
 普段、何氣なく使つてゐる言葉が、實は、佛敎用語だつたといふものを紹介してゐます。

 今日は、「無學」です。現在使はれてゐる意味とはまつたく違ひます。
 あ~、殘念。たまに、家に居る時は、普段觀ることができないテレビを觀ます。昨日、家に戻つて、新聞をみたら、「えっ、ラグビーと陸上の両方をやつてゐる」と。最近の陸上はいいですね~。私たちが若い頃は日本は陸上は弱かつた(水泳も)。樂しい、樂しい。福島千里さん、熟してきましたね~(プレーがですよ)。そして、なんと言つても、男子100m走。我が國で、陸上100mがこんなに盛り上がるなんて・・・。こんな日が來るなんて。そして、その100m走には、我が母校 慶應義塾大学出身の山縣選手が!應援しましたよ~。あ~、殘念!!!でも、よいよい。まだチャンスはある。

 すぐに、ラグビーにチャネルを切替えました。あ~、おしいな~。よいよい。喧嘩と同じで、物理的に負けたとしても、負けた方が下を向いてゐないことが大切です。負けても負けたと思はないことが大切(負け癖をつけない)。我が國開催のワールドカップまで、課題を十分確認して、そして、本番で勝てばよい。それにしても、ラグビーも強くなつた。これも、信じられない事です。樂しいな~。

 今日は、久しぶりの快晴です。ガミさんが、洗濯すると張り切つてゐました。梅雨の間の束の間の晴れですね。
  フランス革命は、民衆の狂氣によつて、王樣が首をはねられました。大東亞戰爭は、「戰爭反對」を言はうものなら選擧に當選しない雰囲氣だつたさうです。明治時代、元武士が政治をやつてゐたときはうまくいつたのですが、選擧が實施され、民衆が政治に關與することになつてから、自由民權運動なる愚かな活動がおき、おかしくなつていきました。板垣退助や大隈重信など、信じられないやうな政治家が出てきてゐます。
 季節のきれいな日本語を紹介してゐます。

 今日は、雨接待(あめせったい)です。
 第一条:和→第二条:原理原則→第三条:ミッション→第四条:禮(礼)ときて、第五条です。今日は、譯を。
 私、前囘か、前々囘で間違ひを申し上げました。空蟬と夕顔は別人です。ごめんなさい。源氏物語は人がたくさん出て來るので、かういふ何氣ない間違いをしてしまふことがあります。この邊は、特に、何の本も參考にしてゐないので・・・。いけないいけない。きちんと讀み返して書かないと・・・・。

 さて、雨夜の品定めを續けます。源氏物語を初めて讀んだ人や、讀み慣れてゐない人は、「なんでこんな女性評なんかをだらだらと書いてゐのだらか」と思ひます。

 これからたくさんの女性が出て來る布石を紫式部は打つてゐるのです。こんな「布石を打つてゐる」といふ考へ方は、どの解説書にも出てゐません。これまで源氏物語を讀んできた私の勝手な解釈です。

 「なんで素人のお前がそんな解釈なんかするんだ」と思はれる方もいらっしゃるでせう。

 そんな空想力を抱かせるのが、紫式部の天才の力なのです。そして、空想力を發揮して讀まないと、讀み續けることができないのも源氏物語です。

 かと云つても、このブログは、源氏物語を讀みやすくすることをテーマにしてゐますので、雨夜の品定めはこのぐらいにしておきませう。雨夜の品定めの續きを讀みたい人は、第二帖だけ讀んでください。谷崎純一郎か与謝野晶子か・・・。決して慾を出して、他のところも讀まうとしないでください。その慾が源氏物語を讀めなくします。このブログで解説を讀んでからにしてください。

 では、雨夜の品定めを飛ばして第二帖を続けます。
 きれいなきれいな季節の日本語を紹介してゐます。

 我が國は、「言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ國」です。きれいな言葉を使ふから、みんなが幸せになると云ふ意味です。今日紹介するのは「心晴らし(こころばらし)」です。
 普段、何氣なく使つてゐる言葉が實は、佛敎用語だつたといふものを紹介しています。

 今日は、「微妙」です。

 最近の日本語の亂れは、目も當てられなくなつてゐます。それを「言葉は時代とともに進化する」とか「今は、それが普通」と云ふ人がたくさんゐます。なんと嘆かわしいことか。異常なマジョリティを普通といふ。こんなことが許されてゐたら、我が國八千數百年の歴史は崩壊します。この微妙も、若い女性が「ビミョー」と叫ぶ姿が見受けられます。目を背けたくなります。

 微妙は佛敎用語では「みみょう」と云ひます。
 今日は、出光興産の創業記念日です。明治四十四年(1911年)六月二十日に門司で古今東西最高の經營者 出光佐三店主が創業しました。105年の歴史を誇ります。理念は續いてゐるかどうか知りませんが。

 どこに行つても紫陽花がきれいですね~。先日、久しぶりに家で休日を過ごしました。近くを散歩してゐたら、鳴尾小學校の校門のところに、めずらしい白い紫陽花が咲いていました。あまりの美しさに息をのみました。

 きれいですね~。日本は梅雨も美しい。

 今から小濵から奈良の橿原に移動します。だから今日のブログはこれだけです。

 とても面白い本に出逢ひましhた。
 アメリカやイギリスで信じられない殺人事件が起きてゐます。日本人でよかつた。ローマ帝國が、キリスト敎カトリック教會主義によつて、歐州は、暗黑の千数百年を經驗することになりました。宗敎戰爭に陥り、「異教徒は殺さなくてはならな(異教徒だけではなく、同じキリスト教でも他の宗派も)といふ私たち日本人では信じられない光景が繰り広げられました。疲れに着かれてオランダの女王が「異教徒は殺さなくてもいい」といい、ルネサンス(再生:ローマ帝國の時代に戻ろう)」が起こりウエストフェリア體制が構築されました。疲れに疲れた中世を經驗した、歐州は、必死でこの歐州公法を守ろうとしました。でも、アメリカやイスラムはこれを經驗してゐません。

 もつとも、穩やかだつたイスラムをあんな原理主義に戻してしまつたのは歐米にほかなりませんが。

 とにかく「自分と違ふ考への人間は殺していい」「ただしい歴史を知つてゐる。それだけで殺す十分な理由になる」といふ考へ方はまだ生きているのですね。彼らの中で。

 また前置きが長くなつてしまひました。三菱東京UFJは、ずるいですよね。メガは、本來の義務を果たしてゐません。
 携帯をわすれて小濵に來てしまひました。一昨日の夜に一度取りに行つてまた小濵に戻つてきました。不便ですね~。携帯がない頃つてどうしていたのかしら。思ひ出せません。ネットも携帯のテザリング機能を使つてゐるので、ブログも書けませんでした。

 さて、普段何氣なく使つてゐる言葉が實は、佛敎用語だつたといふのを紹介してゐます。今日は「娑婆」です。やくざ屋さんが出所してきたときに「ああ、やつぱり娑婆の空氣はうめえなあ」と云ひます。

 私は、漫画「代紋TAKE2」が大好きです。あの漫画は面白い。やくざの世界は、むしろ堅氣の世界よりも秩序が正しいのではないでせうか。

 まあいいや。娑婆は、古代インドのサンスクリット語「サハー」に漢字をあてたものです。意味は「忍土(にんど)」または「堪忍土(かんにんど)」です。
 今日のブログはこれで打ち止めです。今、書いてゐるシリーズもの(源氏物語とか)ももつと書きたいし、新たに書きたいシリーズもたくさん。知的好奇心を失つたらをはりですものね。

 今日から、第五条です。
 今晩から明日にかけてまた仕事をします。だからブログが書けないので、今、書いてゐます。日付も十四日にしてゐます。

 佛敎用語とともに、季節の言葉も紹介してゐます。美しい美しい日本語。こんな言葉を手紙に書いてもよいですね。今日は、「折角(せっかく)」です。
 普段、何氣なく使つてゐる言葉が、實は、佛敎用語だつたなのてのを紹介してゐます。

 今、テレビを見てゐたら、NHKに有村架純さんが出てゐました。私は、あまり若い女優は好きにならないのですが、この子は好きでした。過去形にしたのは、それも今日で終はりだからです。

 日本語が美しくない。素敵な女優さんが、亂れた日本語を使ふと、泣きさうになります。有村さんも、「全然大丈夫です」「見れます」「食べれます」「すごいきれい」などなど・・・・。あ~あ~。もつたいないな~。まだ、語尾上げ言葉を使つてゐなかつたのですが。

 我が國は、言霊の幸(さきは)ふ國です。世界で一番美しい日本語、言霊が宿る日本語を使ひ合ふので、みんなが幸せになるといふ意味です。

  「今は、それが普通なの」・・・、やめませうねこの言葉。異常なマジョリティを普通といふから世の中がおかしくなります。

 本題に戻します。今日は「冥利(みょうり)」です。
 週末、いろいろあつたので、十分な仕事が出來ませんでした。今から、やるので明朝は、ブログが書けません。なので、このブログを明日のブログとします。ひとつだけ~。日付も十三日にしています。

 西宮戎神社では、六月に御輿屋祭(おこしやまつり)が開かれます。といふか、私は、平成十年から甲子園近辺に住んでゐて、しばしば西宮神社には行きますが、この祭は、十八年間知りませんでした。情けない。では、西宮神社のホームページを參考に、このお祭りを追つていきませう。
 さきほどの、源氏物語がきつかつたので、今日の、ブログはこれで終はりと思つてゐたのですが、このシリーズを前囘書いたのが、六月四日なので、そろそろ書かなきゃと・・・。

 ヴァレン事件のつづきです。

 嘘漫画ベルサイユのばらの主人公は、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェです。女性なのに、男の子して育てられ、准將にまで昇進します。確か近衞兵です。

 そのオスカルが戀をするのがヘルゼンです。ハンス・アクセル・フォン・ヘルゼンです。子供の頃、かういふ名前を正確に全部覺へてゐました。

Hans Axel von Fersen2.jpg

 實在の人物です。マリー・アントワネットの愛人でもあります。スウェーデン人です。スウェーデンの貴族です。
 前回まで、第二帖に搭乗する女性は、空蟬だとまうしあげてきましたが、これは、ある女性に當てられれた、さうですね~、ニックネームとでも云へばいいのでせうか、それなんです。

 本名(?)は、夕顔です。

 そして、第二帖で、夕顔が登場してくるまで、なぜ、こんなにまどろつこしい、雨夜の品定めをやつてゐるかも重要です。「どんな女がいいかな~」「あんな女がいいんぢやない?」とやつてゐますが、これはすべて夕顔が登場するための布石なんです。夕顔といふ女性は、そんな条件にぴつたりあふ、素敵な女性なのです。天才 紫式式部はさすがですね。

 さて、光源氏と頭中將(とうのちゅうじょう)が二人で話してゐたところに、AとBといふ二人が參加します(本當は名前があるのですが、源氏物語は一々登場人物の名前を覺へると讀めなくなるので、AとBで結構です)。

 ごめんなさい、この雨夜の品定めは長いのですが、あと二、三回書かせてください。こんなくだらない會話なのですが、この後の、夕顔や第二十二帖の「玉蔓(たまかずら)」への重要な布石になつてゐるのです。

「ふん、あなたたち、私のこのストーリーを讀めるものなら讀んでみてよ」といふ、紫式部の挑戰を受けてゐるのです。
 第四条をみてゐます。

 繰り返します。

 第一条が、我が國で最も大切な和です。弱い人間の集まりではありません。鍛え上げた己の力をお互ひに使ひあふとき、人間の(集團の)力は最大限となること を和と云ひます。一致團結です。互譲互助です。武士道の精神です。この力があるから、我が國は、宗教がなくとも道德を保てた世界で唯一の民族となりまし た。

 第二条が、大宇宙の原則を守れです。三寳を敬へとは、さういふことです。自分勝手な考え(誰が正しいか)ではなく、大宇宙の原理原則と和して生きていけ(何が正しいか)と云ふことです。我が國の別名である大和とは、「宇宙の原理原則として生きていく」といふ意味があります。

  第三条が、ミッションです。現代で云ふ「個性」は、本來の個性の意味とは違つてゐます。自分の好き勝手なことをやるのを個性と云ひません。その集團(家、 會社、地域社會、國家等)の中で、自分の役割(使命)を探し、そして、それをコツコツコツコツ果たしていくことを使命と云ひます。一隅を照らすです。

  十七条憲法ができたのは、第三十三代天皇 推古天皇のときです。それまで營々と積み上げられてきた國家經營の經驗といふ土薹の上に書かれてゐます。「國家 おのずから治まる」といふ表現に自信が見て取れます。「シラス」といふ國體を積み上げていけば、國は安泰だといふ意味です。

 和→原理原則→ミッションときて、そして、第四条が禮(礼)です。

 この禮を儒敎の教へといふ人がゐますが、さういふ人は、まだ、我が國の國體のことがわかつてゐない人です。
 普段、何氣なく使つてゐる言葉が、實は、佛敎用語だつたといふものを紹介してゐます。

 今日は「退屈」です。
 昨日、倉山満氏の本を讀んでゐました。面白いことが書いてあつたので紹介しておきます。

 なぜ、政治や外交や大本営參謀が愚かたつたのに、帝國陸海軍が強かつたかも理解できます。そして、現在、三菱自動車やシャープや東芝になぜ、あのやうな不祥事が起こるかも。さらに、企業の組織づくりに必要な考え方は何かも。
 
 私の考へ方の整理をしておきます。
 あの、北海道の子供置き去りの事件の件でどうしてもひつかかることがあります。「お父さん、優しいから許す」なんてことを子供が云ふでせうか。過程はどうあれ、原因は子供の不始末です。それに「親を許す」といふ發想は、今まで、私は持つたことがありません。よく調べると、この子は、何にでも石を投げることをよくやつてゐたさうです。

 世の中で大切なことは何か。「何が正しいか」を學ぶこと、そして、自らの使命を追求し續けることです。それが八千數百年もの間、人間社會の奇跡である我が國の在り方なのです。

 我が國では、宗敎といふと、なにか、いや~な感覺があります。でも、本来は、「正しいことを敎へる」ことです(キリスト敎カトリック敎會主義は違ひますが)。

 佛敎は、一神敎とされてゐますが、違ひます。それに、キリスト敎のやうに「神のみを信じろ」とは言つてゐません。自分の中に在る宇宙を見つけなさいと敎へてゐます。

 私は、佛敎徒ではありませんが、正しいことを知りたいので、佛敎の本は結構讀みます。

 今日の言葉は「刹那(せつな)」です。
 朝の時間が一番幸せです。ブログ書いて、手紙讀んで、本讀んで、手帳を整理して、新聞讀んで・・・。斷酒してゐると夜は寢るしかないので、朝早く起きます(笑)。いいな~。

 さて、雨夜の品定め(あまよのしなさだめ)の續きです。

 こんな會話を書いたら、世の女性陣からバッシングをくらいさうです。「男つていいかげん」なんて。でも、それを現代の感覺でとらへないでください。當時の女性は、上流・中流・下流育ちによつて評價されてゐました。そして、女性は表に出ないので、男性が通ふしかありません。外に出ないので、當然どのやうな女性かがわかりません。だからこんな會話も成り立つのです。

 私たち現代人の惡い癖は、「今のパラダイムで他の時代を評價」することです。だから、本が讀めなくなります。

 讀書の極意

心を虚しうして讀め

 自分の勝手な設計主義で讀まないでください。
 このブログは世界一我儘なブログです。自分の書きたいことを一切の遠慮なしに書いてゐます。でも、追求するテーマは「誰が正しいかではなく、何が正しいか」です。

 憲法と云ふなの文章でしかない 邪敎 日本國憲法。この憲法が、美しいわが國をどれだけ破壊してきたかは計り知れません。

國民主權:自分たちの勝手な我儘のためには國家を轉覆してもよい權利です。つまり、あのフランス人が今でも死ぬほど後悔してゐるおろかなるフランス革命のやうな權利です。王樣を、勢いで殺してもよい權利です。

基本的人權:人を殺してもよい權利です。でも、お互い誰に殺されるかわからない状況では自分の躰體が危ないので、國家で制限しやうといふもの。宗敎戰爭で、「異教徒は殺さなくてはならない」といふ考へのもとに生まれてゐます。だから、最近、平氣で人を殺します。

平和主義:自分さえ平和であれば他の人のことや國家など、どうでもよいといふ考へです。十四歳の女の子が、不埒なテロ國家に拉致されても、助ける意志さへ、國民が持ちません。

 こんな恐い憲法を、後生大事にしてゐるのが、今の、おろかなる私たちです。我が國史上、最低の國民ができてしまひました。

 十七条の憲法をまう一度、よく吟味しませう。私たち日本人の生きる心が書いてあります。

 第四条のつづきです。
つづきです。「いんじょうじ」と讀みます。

    わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕ぎ出ぬと 人には告げよ 海女の釣り船

 中學生の時、覺へましたね~。百人一首。參議篁(さんぎたかむら)の歌です。小野篁(おののたかむら)が本名で、西暦802年~853年の51年間生きた人です。
 
 普段、何氣なく使つてゐる言葉が、實は、佛敎用語だつたといふものを紹介してゐます。

 今日は、我慢です。

 慢とは、「他人と比べて、自分を誇ったり過剰評価して、思い上がる心」を云ひます。家柄、財産、地位、知識、能力、容姿など、比べることの出來る事柄では、何にでも起こりえる煩悩のひとつです。

 また、心の状態で、七つに分けたものを七慢といいます。
 官僚と政治家とメディアのレベルが低すぎます。それに過剩反應する一部の愚民も、

 昨日、ニュースをみていたら、サミットで使つた建物が31億円で髙すぎるのではないか、との記事がありました。一部國民から意見があるとか・・・。
 以前、橿原神宮で行はれた「神武天皇二千六百年祭」に行つた後、久しぶりに京都まで足を伸ばしました。櫻のシーズンだつたのでかなり混雑してゐました。車もなかつたし、京都駅のコインロッカーも満杯です。う~ん、と考へ、思い切つて觀光タクシーをチャーターすることにしました。

 運転手さんがとても良い人でした。いろいろなことを敎へてもらひました。まずは、櫻の宮と呼ばれる北野天満宮に行きました。次に、玉の輿神社です。
 季節の言葉をシリーズで紹介してゐます。我が日本語は美しいですね。

 我が國は、豐葦原の瑞穂の國です。三大神勅のひとつ、斎庭の稲穂の神勅により、天皇家は、米を以て臣民を養ふことになつてゐます。この神勅を官僚が知つてゐれば、安易な減反政策などには走らないのですが。官僚の試驗には、古事記を必須とすべきです。

 田植ゑがはじまつた今の我が國は、四季の中でも美しい季節の一つです。
 鄭義といふ支那人に「紅色記念碑」といふ著作があります。支那語で書かれてゐるので、福島香織さんあたりでないと讀めません。この紅色記念碑を黄文雄さんが和訳しました。「食人宴席」といふタイトルです。ネットで6,000円ぐらい出さないと賈へません。

 支那には太古の昔から、食人文化があることは知られてゐました。やむにやまれずではなく、通常の文化として。カニバリズムではなく、一つの文化として。今? あると聞いています。普通に。死刑囚などは賣られてゐるみたいです。
 ベルサイユのばらは嘘漫画ですが、でも、フランス革命の流れを知るにはいいかもしれませんね。先ほど、讀んではいけないと申し上げた、司馬遼太郎、山崎豊子、白山三郎、吉村昭、半藤一利、阿川弘之なんかも、一度騙されてみるのもよいかも。歴史の流れは確かにわかりますし、ああ、こんな嘘の尽き方が出來るんだ~といふ感覺を知ることも勉強になるかも。

 さて、ヴァレン事件に入ります。ルイ十六世と國王一家の亡命未遂事件です。
 普段、何氣なく使つてゐる言葉が、實は、佛敎用語だつたなんてのを紹介してゐます。

 今日は、「律儀(りちぎ)」です。佛敎用語では「りつぎ」となります。
 サラリーマンで千葉支店に勤務してゐたときのことです。朝礼で、社員が交代でスピーチをします。ある朝、新入社員の女性が登場。「私は、光源氏が大好きです」から始まりました。「へ~、この子若いのに、源氏物語を讀んでゐるんだ。偉いな~」と聴きながら思ひました。ところが、次に、「光源氏の諸星くんがローラースケートで・・・・・・・・・」。普段テレビを觀ない私「・・・・・・・・・・(頭が錯乱状態)」でした。

 インターネットで檢索しても、歴史上のとても大切なキーワードが、なんかちゃらい、キャラクターの名前になつてゐたりすると、いや~な氣分になります。あさいな~。

 第二帖 帚木(ははきぎ)を讀んでゐます。

 第一帖 桐壺の最後の方では、光源氏は十二歳でした。第二帖では、まう十七歳です。

 いいですね! 第一帖で覺へるのは、桐壺といふ名前です。あとから出て來藤壺も。
 
 第二帖で覺へるのは、頭中將(とうのちゅうじょう)と空蟬(うつせみ)です。

 さて、光源氏と頭中將とあと二人の四人が雨夜の品定め(あまよのしなさだめ)をやります。
 聖德太子の十七条憲法です。今日から第四条です。
 いつの間にか夏ですね。衣替えの季節。よく、洋服を干すのを手傳つたっけ。

 姫女苑(ひめじょおん)といふ花をご存知ですか?

 よく見かけますよね。もともとは「柳葉姫菊(やなぎばひめぎく)」と云つて明治の初めに觀賞用として持ち込まれた花ださうです。今や、野生化してそこいら中に咲いてゐます。
 第二帖 帚木(ははきぎ)を一緒に學習してゐます。

 しつこいですが、この第二帖で覺へていただきたいのは、空蟬(うつせみ)といふ女性と、頭中將(とうのちゅうじょう)です。この二人で良いです。第二帖には、あまりにも有名な「雨夜の品定め(あまよのしなさだめ)」があります。この雨夜の品定めは光源氏と頭中將を入れて、四人でやるのですが、後の二人は覺へなくて結構です。
 つづきです。第三条を讀んで、これは絶対命令だと思ふ人は、わが國のシラスといふ國體を知らない、悲しい人達です。國籍だけ日本人です。

 歴代天皇は、決して、階層型支配制度を行ひませんでした。常に共同體使命型社會の構築に腐心しました。

 ですから、この第三条は、天である君と、地である臣民との役割分担のことを言つてゐますシラスといふ國體を知つてゐれば、こんなことをいちいち説明する必要もありません。
 先日、千葉県館山市に行つてまいりました。久しぶりにお會ひ出來た方と樂しいひと時を過ごしました。

 館山市に「ひふみ養蜂園」といふはちみつやさんがあり、そこが、また素敵なんです。「蜂の駅」なんて名前を店につけたりして。ホームページも面白い。田舎でも、少し工夫すればかういふ商賣が出來るのですね。http://123-832.com/  是非、ご覧ください。コンサートなんかもやつてゐるんですよ。



 普段、何氣なく使つてゐる言葉が、實は、佛敎用語だつたなんてものを紹介してゐます。

 今日は、「餓鬼(がき)」です。

 佛敎では、人間が迷いを以て行き來する六つの世界があります。天道(てんどう、天上道、天界道とも); 人間道(にんげんどう); 修羅道(しゅらどう); 畜生道(ちくしょうどう);餓鬼道(がきどう); 地獄道(じごくどう)です。人間道まではまだ良いのですが、畜生道以下は、迷いに迷つた人が入り込む世界です。
 光源氏と頭中將(とうのちゅうじょう)の雨夜の品定めに行く前に、第二帖がなぜ「帚木(ははきぎ)」なのかをご説明しませう。

 五十七帖ある源氏物語の第一帖に出て來る女性は、云ふまでもなく、桐壺でした。

 源氏物語に出て來る女性は、 美しい植物の名前に例へられてゐます。桐壺は桐ですね。

 桐の花はきれいですね~。
 第三条の譯です。
 普段、何氣なく使つてゐる言葉が實は、佛敎用語だつたといふものを紹介しています。

 今日は、「上品・下品」です。佛敎用語では「じょうぼん・げぼん」と讀みます。
 今日から水無月(みなづき)ですね。

 水が無くなる月ではありませんよ(笑)。神無月と同じで「無」は「の」です。つまり水の月。田に水が張られる月です。

 それと水無月と云ふお菓子もあります。あれおいしいですよね~。昔は、氷が貴重品だつたので、氷菓子にみたてて作られました。

 日本には七十二の季節があります。七十二候(しちじゅうにこう)と云ひます。この豐な自然に育まれ我が國は、發展してきました。情緒豐かに。

 星の名前も情緒たつぷり。この時期に、南の夜空には、白く明るい星がよく見えます。乙女座の一等星 スピカです。

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このアーカイブについて

このページには、2016年6月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2016年5月です。

次のアーカイブは2016年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。