食人宴席(皇紀弐千六百七十六年六月五日)

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 鄭義といふ支那人に「紅色記念碑」といふ著作があります。支那語で書かれてゐるので、福島香織さんあたりでないと讀めません。この紅色記念碑を黄文雄さんが和訳しました。「食人宴席」といふタイトルです。ネットで6,000円ぐらい出さないと賈へません。

 支那には太古の昔から、食人文化があることは知られてゐました。やむにやまれずではなく、通常の文化として。カニバリズムではなく、一つの文化として。今? あると聞いています。普通に。死刑囚などは賣られてゐるみたいです。
 司馬遷の史記には、百八十回も食人の記録が出てきます。

 これは人間社會なのだらうか???

 我が國は、歴史上、支那と關係が薄い時、幸せな時代が續いてゐます。支那と關係が深いときには、困難な時代を迎へてゐます。なるべくかかはりがないはうが良い國、支那・・・。

 でも、隣国なので、何かしらのかかはりを持つことは今後避けて通れません。

 だとしたら、しつかりと隣国を知る必要があります。自分たちと同じやうに、考へては、自分の首を絞めるだけです。

 おぞましくて、とてもこのブログで書ける内容ではありません。同じ人間なのだらうか?




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このページは、宝徳 健が2016年6月 5日 06:26に書いたブログ記事です。

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